「殺したるんや。我慢の限界じゃっ」…児童8人を刺殺した「宅間守」、知られざる婚約者の「母」が聞いた元妻への罵倒【附属池田小事件から25年】

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「私に母の姿を見たのかもしれない」

 2001年6月8日、大阪教育大学附属池田小学校に乱入した宅間守は、8人の児童を殺害し、児童と教師合わせて15人に重軽傷を負わせた。悪魔のような犯行に、検察側は2003年5月22日、論告求刑の場で、

「一人でも多くの人間を殺害するために、抵抗力の弱い小学生を選んだ」
「反省の態度は微塵もみられない」
「身勝手な動機で無差別大量殺人に及んだ」

 と宅間を断罪し、死刑を求刑したのである。

 論告求刑公判では、犯行動機を明らかにする過程で、宅間の生い立ちや4回の結婚、離婚を繰り返した過去が明らかにされた。とりわけ、宅間の3番目の妻への執着は凄まじく、結婚時は、いつも監視の目を光らせた。離婚した後も、興信所を使って居所を探し、見つけた時には暴力を振るって、ケガをさせた。

 宅間は、4度の結婚の中で1回目と2回目の妻はいずれも19歳年上。2回目の妻は有名作家の妹で、小学校時代の恩師だった。

「私に母の姿を見たのかもしれないですね」

 そう冒頭に登場した女性は感想をつぶやいた。大阪府内に住む50歳代の谷田良子さん(仮名)は、「5番目の妻にしたい」と宅間が懇願した、元婚約者の母親だ。

 宅間の過去を調査した洪水のような報道の中でも、彼が事件直前まで、5回目の結婚を望んだもう1人の“婚約者”がいたことはほとんど報じられていない。虚言、暴行など宅間の性格が災いし、婚約者とは破談したが、宅間は婚約者の母親に執着し、連日のように、ストーカー行為を続けていたのだ。

 宅間が、犯行の前の数カ月間、実の母親のように慕ってやまなかった谷田さんが、その心中を吐露した。

「うちの英子と結婚してくれたらな」

 谷田さんと宅間が出会うきっかけは娘の英子(仮名)だった。2001年1月に、英子は年収1000万円以上、もしくは職業が医師か弁護士という男性を対象にしたお見合いパーティーに出席した。

 気は進まなかったが、友人から「会費は半額の5000円でいい」と誘われたからであった。その席上で、英子を見初めたのが宅間だった。

 華やかに着飾った女性が歓談するのに混じって、スーツ姿の宅間は自ら、兵庫医科大学・精神科医と名乗り名刺を差し出した。20代の英子にとって、宅間は年齢が離れており、好みのタイプではなかったが、名刺をもらったので軽い気持ちで携帯電話の番号を教えた。

 家に帰った英子は、母親に、

「こんな人、来てたんよ」

 と宅間の名刺を見せた。

「医師か。うちの英子と結婚してくれたらな……」

 年頃の娘を前に母親は結婚式の姿を思い浮かべた。

 やがて、宅間から英子の折り畳み式携帯電話に毎日のように電話が入った。しかし、英子はうかない顔だ。

「一度、お食事にでも行ってみれば」

 母親はそう勧めた。宅間を医師と信じて、病弱で大病をした娘の将来をおもんぱかってのことだった。

 何度か宅間とデートを重ねた英子だが、愛情は芽生えなかった。しかし、母親の願望は痛いほど感じていた。父親や兄弟も宅間と食事を共にして、気に入っていたという。が、ほどなく事件が起こる。

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