W杯予選がきっかけで“戦争”が勃発したことも! “世界最大のスポーツ祭典”驚愕のトリビア 母国勝利に狂喜して囚人を解放…刑務所長に下された“目がテンになる判決”
「サッカーがきっかけで戦争」の長すぎる顛末
勝負の結果で、現実の戦争が起こった例もある。
1969年7月に起こったのが、通称“サッカー戦争”である。事件は翌1970年のメキシコ大会に向けての地域予選で起きた(1969年6月)。隣接していたホンジュラスとエルサルバドルが対戦し、エルサルバドルが勝利。すると、敗退したホンジュラス側の民間人による襲撃があり、エルサルバドルは軍事侵攻を開始する。実はホンジュラスにはエルサルバドルから多数の移民や出稼ぎ労働者が押し寄せ、仕事が奪われるホンジュラスの国民からは常に不満の声があがっていた。
実際、この時の試合はプレーオフ含め3試合あったのだが、初戦でホンジュラスが勝つとエルサルバドルのファンの18歳の女性が自殺し、その告別式はチームの選手たちはおろか、大統領まで参列し、さながら国葬に(テレビ中継もあった)。2戦目でエルサルバドルが勝つと、同国のサポーターが暴行を受け、2人が死去。両国は極度の緊張関係にあったのだ。
戦争は約1ヵ月で停戦となり、11年後の1980年には国交も復活したが、後日談も。1996年末、ホンジュラス代表チームのリチャードソン・スミス選手が、エルサルバドルのクラブチームへ移籍。理由はW杯予選(メキシコ戦)でボール処理を誤り、敗退の戦犯とされてしまったから。自チームであるホンジュラスのサポーターから発火物などで自宅を襲撃されてしまったのである。旧敵であるはずのエルサルバドルのチームに身をおくことになったスミス選手のコメントは以下だった。
「何より、僕自身の安全を考えました」
母国の大勝利に囚人も解放!
もちろんW杯サッカーが国民に寄与した良い例もある。“スト大国”と言われるほど労働者の意識が高い(?)フランスでは1986年、国営テレビの労組が民営化に反対し、大々的なストをおこなう予定で、日付も6月25日と決まっていた。ところがこの年はW杯のメキシコ大会。しかも、フランスがあれよあれよと勝ち進み、ベスト4まで進出したのだ。迎えた準決勝(vs西ドイツ)の日付は、ストの決行予定日、6月25日だった。
ストをすれば、当然、準決勝は放送しない。しかし、これは国営放送を守るためのストであり、今後も必要なのは、結局のところ、国民の支持と協力である。結果、ストは回避され、無事、準決勝の模様はフランス国内の電波に乗ったのだった。されど、フランスは惜敗。なかなか上手く行かないものである。
良いことか大いに判断し兼ねるのが、1970年のメキシコ大会で起きた出来事。予選リーグを勝ち抜き、メキシコが自国初のベスト8に進出。国中が歓喜に包まれたのだが、それは同国南部にある、重犯罪刑務所でも同じであった。
ベスト8が決定した瞬間、所長のアウグスト・マリアガが、「メキシコ万歳!」とピストルを空にぶっ放し、余りの多幸感から、独房の扉を全て開け、142人の囚人を、全て解放してしまったのだ。当然のことながら、裁判にかけられた所長への判決は、以下だった。
「愛国心の高揚から来る行動ゆえ、無罪に処す」
最後は、まさに戦争を止めた、サッカー界からの一言を。
2005年10月8日、コートジボワールが予選リーグを勝ち抜き、自国初のW杯出場を決めた際、同国代表かつイングランドの名門チェルシーFCでも活躍したディディエ・ドログバは、生中継が続くテレビカメラに向かい、語りかけた。
「コートジボワールの皆さん、(中略)私達は今日、どの地域の出身者であっても共存し、W杯出場という同じ目標に向かって一緒にプレーできることを証明しました。この喜びは、人々をつなぐものだと信じています」
母国コートジボワールは2002年より、宗教の違いもあいまり、北部と南部で内戦が続いていた。生中継はドログバの誘いもあり、勝利に沸き立つロッカールームで行われていたが、ドログバはひざまずいた。すると、他の選手たちもほぼ同時にひざまずいた。
「今日、私たちは、ひざまずいて、心からお願いします。許しあってください。許しあってください。許しあってください! アフリカ大陸の我々の豊かな国が、内戦状態に陥り続けていてはいけません。お願いです。武器を置いて下さい。そして、選挙をしましょう。国を再建しましょう! 銃を撃つのはもうやめましょう!」
直後に、いがみ合う両陣営は一時的に停戦。翌々年3月には、内戦終結の宣言がなされる。和平への道筋には他にも様々な力があったにせよ、間違いなくその嚆矢となったドログバのサッカー勝利後のマイクだった。
ドログバは後年、アメリカ『タイム』誌の「世界で最も影響力のある100人」に選出。コロナ禍の際も、「アフリカでコロナの治験を」と言うフランスに、「アフリカは実験室ではない!」と猛抗議している。
※1=この大会は上位の4チームによるリーグ戦で優勝チームを決めたため、明確な意味での決勝戦は存在しない。ただし、ブラジルvsウルグアイが最終の公式戦であった。
[2/2ページ]



