【笑点60周年】「どうか戻って」と懇願され番組に復帰…「5代目三遊亭円楽」が爆笑の陰で乗り越えた“週3日の人工透析と脳梗塞”

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「死んでもいい」と言ったら医師が激怒

 66歳で腎臓病が再発した時、病状は以前に増して悪化していた。

「先生には“もう腎臓が両方ともダメです。これは誰かいいドナーから腎臓を移植するか、さもなければ透析を続けるか、2つに1つです”といわれましてね、アタシには息子がいますけどね、河野洋平さんみたいに息子さんをドナーにするというのは、どうも気が引けましてね。息子にはまだ将来があるんだしね。それでね、“アタシももう年だし、これで人生終りだろうと思い、(寄席『若竹』開設で作った)借金も返し終わったし、何の未練もないから死んでもいい”と言ったんです。

 そしたら先生に怒られましてねぇ。“そういうことを師匠のような影響力のある人が言うとは何事ですか。そんなことだから子供がむやみに死んでしまったり、人の命を何とも思わない風潮が生まれてしまうんですよ。生命というものはそんなものじゃない。生きていくためには耐えることが多いし、食事制限とかも楽なもんじゃない。でもね、それをやっていけば生き続けることができるんです”と言われたんです」

 それ以後、厳格な食事制限に加え、週3回、1回4時間の人工透析を受ける生活が始まった。

「味噌汁はダメ。醤油は減塩でもダメ。野菜は全部水に浸けないとダメ。2~3時間浸けるとカリウムが抜けるそうですよ。海草もカリウムが多すぎる。苺とか果物もダメ。私らの年代だとバナナがいいと思いますが、栄養価が高すぎる。その代り、缶詰のみかんなんかだと、甘い汁を全部抜いてパラパラになったものなら食べていい。魚も煮汁のかかったのはダメ。食べる時はパラパラして味も素っ気もない」

メンバーを見ても名前が出て来ない

 そんな生活を送りながら「笑点」への出演を続けていたが、昨年10月、今度は新たな病魔が襲いかかってきた。脳梗塞である。

「あの日は寝床で起き上がろうとしたら、言葉が出て来ないというか、口が開かないんです。あれ、おかしいなと感じましてね。これは脳かな、治っても無理かなと思いましたね」

 東京女子医大病院で闘病生活を送った。幸い後遺症は出ず、今年3月「笑点」に復帰したが、

「メンバーを見ても名前が出て来ない。見たことのある人だな、とは思うんですよ。でも、誰だっけ、この黄色い人。ええと、ラーメンの、あの、あの、あの、あ、木久ちゃんだ、となるんですよ。普通のお喋りなら何とかなるのですが、司会となるとね」

 円楽師匠、ここを潮時と判断。「笑点」の司会を降りたわけだが、

「弟子たちに『笑点』を辞めるからって、落語までやめちゃだめですよ”っていわれましてね。アタシはやめないよ”とはっきりいいました。療養していけば、ちゃんとまた話せるようになるかもしれない。そうしたら、小さな寄席なら出られるかもしれない"とね」

 いつの日か、十八番のたらちねを堪能したいものだ。

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「この人は50歳になったらダメになります」――。「笑点」で売れっ子になったとき、円生師匠の言葉が自分を省みるきっかけとなった。第1回【【笑点60周年】出演は「実は乗り気ではなかったんですよ」 大喜利メンバー時代の「5代目三遊亭円楽」に“降板”を決意させた師匠の指摘】では、その詳細などを語っている。

デイリー新潮編集部

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