南米の選手はパスを受けて1で前を向ける。なのに君は1、2、3もかかっている…メキシコ五輪得点王「釜本邦茂さん」を覚醒させた“日本サッカーの父”からの金言
かしわのスープ
きょうだいは上からテニス、卓球、バスケットボールをやるスポーツ一家だから、みんな食べ盛りで育ち盛り。ご飯は羽釜で大量に炊き、1日3食でたのはクジラ肉と青菜を炊いたものだった。
肉といえば、まだ豚か鶏の時代。よく飲んだのが、鶏がらのスープ。元々警察官だった父が戦後、勤め先の神戸の造船所から帰宅すると、作ってくれるように母親に頼んだ。
〈近所の鶏肉店で買った鶏がらを潰して大鍋いっぱいに3、4時間、グツグツ煮出して味付けは塩だけ。それを父親と一緒にどんぶりいっぱい飲んだ〉
〈脂が浮いていて見るからに濃厚なスープにねぎを散らして。夏は冷たく冷やしてゴクゴク飲んだなぁ。骨太の頑丈な体に育ったのはあのスープのおかげかな〉
記事に鶏がらスープの写真を掲載するため、会社の近所のスーパーで7、8羽分買ってきて、アクを取りながら数時間煮詰めた。最後は白濁してトロトロしたスープに。それを冷やして飲んでみたら、まさに濃厚という言葉しか思い浮かばない味わいで、冷えてちょっとプルプルした感じ。一気にすすったら、体に染み渡るようだった。
ここからは、屈強な釜本がサッカーに懸ける上でエキスとなった言葉。前掲書からいくつか拾ってみる。
〈1961年の高2の夏にはデットマール・クラマーさんとの遭遇という衝撃的な出来事もあった〉
クラマーは「日本サッカーの父」といわれ、サッカー界の礎を築いた人として知られる。そんな人物に、教えられたことを吸収できる高校時代に出会えたことは、人生の至福だった。
クラマーは釜本の動きを見て「ホッカイドウ、クマ、ヒルネ」と、容赦ない言葉を浴びせた。「図体がでかいだけや」と漏らした言葉も聞こえたという。
クラマーについて釜本はこう書いている。
〈常に三つのB(ボールコントロール、ブレイン、ボディーバランス)と三つのS(スピード、スタミナ、スピリッツ)の重要性を説いた人。1週間の講習もボールコントロールを中心に絶えず精度を要求された〉
そしてこう忠告された。
〈パスを受けて前を向くのに南米の選手は1で前を向ける。欧州の選手は1、2。なのに君は1、2、3もかかっている。どうやったら速く前を向けるか。それができるようになったら一級品になれるだろう。クマだっていざという時には素早く動く〉
当時、日本のサッカーにはボールをつなぐという考えはなく、蹴って走ってゴールを取ってこいという時代。クラマーはキックやヘディングといった基本的技術を実演しながら体系立てて教えた。それが「若い私には新鮮だった」という。
クラマーは「ヤマトダマシイを見せてくれ」ともよく口にしたそうだ。
「サッカーは戦争なんだ」
メキシコ五輪の前は64年の東京五輪。この時、ベスト8に進出した日本代表のキャプテンは平木隆三だった。その平木に「親善試合とタイトルマッチはものすごく違いますね」と言ったら「当たり前や……サッカーは戦争なんだ。きれいごとだけでやれるか」と返された。この言葉も深く胸に刻まれた。
メキシコ五輪の予選が行われていた67年、日本はブラジルのパルメイラスと国内で対戦した。その試合で後に日本でプレーすることになるネルソン吉村(後に帰化して吉村大志郎に)と初めて会った。その時の会話が秀逸だ。
釜本 マーカーが1人ついていても俺にパスを出せ。2人ついていても俺に出せ。
吉村 3人ついていたら?
釜本 うーん、それでも俺にパスを出せ。
これが前掲書のタイトルになった。吉村はげらげら笑っていたそうだ。
釜本は26年W杯をどんな思いで天国から見るだろうか。
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