【風、薫る】悪しき伝統? 見上愛「りん」の実習先「東大病院」の前身は朝ドラで描けないほど「ダメ」だった

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拷問のような患者のあつかい

 大関和や鈴木雅が実習したころも、まだやり手出身の看病婦が多く、65歳とか70歳くらいのやり手出身者が、長煙管をふかしながら若い看病婦を取り締まっていた、という記録もある。そういう看病婦たちが、衛生観念もゼロのまま患者を痛めつけている実態を、実習生たちは目の当たりにするのである。

 たとえば、強引に患者を起こして寝間着を乱暴に脱がせ、さらには患者をひっくり返して毛布を引きはがし、痛がろうと一切の手加減はない。しかも、汗まみれの寝間着を平気でもう一度着せる。換気をしようという意識もない。

 ベッドの下には汚物を受け止める陶器が置いてあるが、それも気まぐれにしか交換されない。交換するときは臭気が病室に充満するが、それでも窓を開けず、汚物が床にこぼれれば、患者の汗をぬぐった手拭いで拭いて、それを平気で小脇にかかえる。汚物が着物に付こうが気にする様子もない。

 こうも衛生観念がなければ、当時の死亡率が高かったのも当然だと思える。

 和や雅らが実習の初日に見た少年への措置も衝撃的だったようだ。化膿性骨膜炎で入院していた13歳の少年が痛がって泣きわめくのに、看病婦たちは押さえつけて縛り、天井に括りつけた滑車にロープを通し、そのロープで少年の足を吊り上げる。しまいに少年が失神してもお構いなしで、和らが止めても無視される。医師が患部である太ももに処置をするための措置なのだが、事実上の拷問のようだった。

 また、和は早々に「勝手な行動」について医師から怒鳴りつけられている。乳がんの手術を受けた患者から、痛みがひどくて不安なので一晩付き添ってほしいと頼まれ、事務局の許可をとったうえで付き添ったところ、医局の許可なしに勝手な行動をとったとして、大目玉を食らったのだ。

 家族以外の付き添いは禁止されている、というのが理由で、患者が和に付き添ってもらってどれだけ安心しようと、その点はまったく配慮されなかった。背景には、看病婦たちからの「実習生は勝手な行動が多い」という告げ口や、治療が行き届いていないと指摘されるのは困るという医師のメンツもあったようだ。

吉原での接待は先祖返り?

 桜井女学校は現在の女子学院の前身のひとつで、プロテスタント系のミッションスクールだった。当初、和ら実習生たちは、医師や患者、無知な看病婦たちのために、2週間ごとに集まっては神に祈りを捧げていたという。

 だが、和はとうとう医師たちに異を唱えた。実習生たちが「勝手な行動」をとると批判されるが、それをせざるをえないのは、第一医院の看護がなっていないからだ、と医師たちに説いたのだ。その当時、女性が意見をすることに対し、驚くとともに反発する医師が多かったようだ。しかし、なかには耳を傾ける医師もいて、外科の責任者だった佐藤三吉教授のもとにも、和の提言は届くことになった。

 とはいえ、医師たちのあいだに遺恨も生じ、一筋縄で改善というわけにはいかなかったようだが。

 ところで、東京大学医学部といえば、先ごろも皮膚科学教室の教授の収賄や、受けていた不適切な接待が話題になった。なにしろ逮捕された教授は、やはり収賄罪に問われた特任准教授とともに、日本化粧品協会との共同研究にからんで、銀座の高級クラブのみならず、吉原でまで接待を受けていたのだ。

 東大医学部と吉原は、すでに述べたように、初期においてやり手婆出身の看病婦を通じて吉原とつながっていた。この教授たちの吉原との関係は、先祖返りだったのだろうか、それとも……。少なくとも序列を意識して人を見下すところは、「伝統」がこの教授らに受け継がれてしまっているようで、残念である。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

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