「俳優」大悟、巨匠も認めた存在感 「歩くだけで画面が持つ」と感じるのは、なぜなのか
是枝裕和監督の「箱の中の羊」
第79回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に是枝裕和監督の「箱の中の羊」が選出され、主演の綾瀬はるかと千鳥・大悟が現地のセレモニーに参加したことが大きな話題になっている。【ラリー遠田/お笑い評論家】
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作品は、亡くした息子と同じ姿のヒューマノイドを迎え入れた夫婦を描く近未来的な家族劇であり、綾瀬と大悟が夫婦役を演じている。公式上映後にはスタンディングオベーションが起こり、日本のお笑い芸人である大悟が国際映画祭の晴れ舞台に立ったという意外性も含めて、強い注目を集めた。
とりわけ印象的だったのは、是枝監督が大悟について「歩いたり走ったりするだけで画面が持つ」と評価し、さらにその姿にビートたけしを感じたと語ったことである。もちろん、これは単なるリップサービスではないだろう。
是枝映画において、俳優に求められるのは過剰な感情表現や説明的な芝居ではなく、人物がそこに存在していることの説得力である。台詞の巧拙よりも、黙っている時間、目線を外す瞬間、背中の角度、生活の疲れやあきらめがにじむたたずまいの方が重要になる。その意味で、大悟の俳優としての魅力は「上手く演じる」ことよりも「自然にそこにいる」ことにある。
大悟はもともと特殊な存在感を持つ芸人である。千鳥というコンビは、岡山弁丸出しの泥臭さを背負いながら、全国区のバラエティの中心にまで上り詰めた。その中で大悟は、明るく清潔で好感度の高いタレントというよりも、どこか危うさ、荒々しさ、昭和的な男臭さを残した人物として受け入れられてきた。
酒、タバコ、博打、女遊びといった今のテレビでは扱いにくくなった要素を、笑いの文脈で生かしてきた。だからこそ、大悟には「何かを背負って生きてきた人間」特有の人間味が漂っている。
ここで北野武との比較が意味を持つ。たけしも芸人でありながら、役者としては説明しない男、感情を語らない男、そこに立つだけで暴力や孤独や死の気配をまとわせる存在だった。たけしの演技は、舞台俳優的な上手さとは別次元のところにある。むしろ、無表情、沈黙、不器用さ、体の硬さが、そのまま映画的な強度になった。
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