「オレの額の傷を見ろ。ユーたちの心の傷も見せてくれないか?」 伝説の悪役レスラー「アブドーラ・ザ・ブッチャー」知られざる優しき素顔
「私の可愛い息子に何をするの!」
孤高のプロ意識と、消えぬレイシズムの記憶の中、ブッチャーに心を休める場所はあったのだろうか。その一端を知れたのは、元東京スポーツの編集局長・桜井康雄だった。会食の際、筆者にこんなエピソードを明かしてくれた。
1981年10月23日、桜井は新日本の沖縄大会を取材した。するとそこに、地元紙「沖縄タイムス」の記者がやって来た。ブッチャーを観に来たと言う。前日、早めに沖縄入りしたブッチャーは、一人でタクシーに乗り、ある場所を訪れていた。それは、「沖縄少年院」。院の方からその情報を受け、取材した記者が理由を問うと、ブッチャーはこう答えた。
「全日本プロレスにいた3年前から、沖縄に行く際は必ず寄るんだ。彼らはフレンドだから」
報道されないだけで、ブッチャーの慰問は枚挙に暇がなかった。この年は4月5日、大阪の児童養護施設(当時)の四恩学園と、「天森養護老人ホーム」を訪れたことが珍しく活字となっている。職員のエレクトーン伴奏で子供たちとゴスペル・ソングを歌い、全員にその場でサインを書いた。老人ホームでは足の悪い利用者のため、4階の部屋まで自ら訪れ、励ましたという。沖縄少年院でブッチャーは、収容されていた若者たちに、こう語りかけた。
「俺の額の傷を見ろ。俺はこの傷を表に出して闘ってる。だから、ユーたちの心の傷も、俺に見せてくれないか」
そして自らの子供の時の苦労や差別、悪事に手を染め、親を悲しませたことを語り、最後にこう告げた。
「いいか、みんな若いんだ。どんな傷でも必ず治すことが出来るぞ。傷を早く治して、立派な男となって世の中に出て行こうじゃないか!」
ブッチャーの慰問は、その後も続いた。2010年7月26日の米紙ニューヨーク・タイムズはスポーツ面のトップでブッチャーを報じている。内容はやはり、ヒールのスタイルと裏腹の、慰問、寄付活動への人知れぬ貢献についてであった。
プロレスをやることに反対はしなかったブッチャーの両親だったが、父は遂に、一度も試合を見に来なかったという。母は一度だけ、アトランタでのアンドレ・ザ・ジャイアント戦を観戦した。後半の場外乱闘で、ブッチャーの目に、客席の母親が目に入った。
「私の可愛い息子に何をするの!」と泣き叫び、アンドレに襲い掛からんばかりだったという。
※1:『ブッチャー: 幸福な流血』(東邦出版)より。



