【豊臣兄弟!】主人公なのに“不人気”な仲野太賀「秀長」 理由は残念なファンタジー役にある
究極の場面で語られるファンタジー
浅井久政が切腹したのち、秀吉と秀長は長政との和睦交渉と、信長の妹でもある長政の妻、市と3人の娘の救出を願い出た。そして、夫婦が2人で座っている場にこの兄弟が赴いたのだが、小一郎が長政に放ったセリフが、この時代の武将の考え方からは乖離したものだった。
秀長は「わが殿もおわかりでございます。浅井様の寝返りは、お市様をお守りするためだということを」と言った。長政が朝倉側についたのは、朝倉側の脅迫から市を守るための決断で、そのことを信長も知っている、というのだ。しかし、そのような情緒的な判断をすれば国衆や家臣たちの離反を招き、滅亡しても仕方ないのが戦国大名だった。
続いて、死を選ぼうとする長政に、秀長は次のように語って思いとどまらせようとした。
「人は放っておいても死にまする。どんなに偉い身分の者も、屈強な侍も、みんな死ぬ。寿命をまっとうできずに、病やケガで死ぬ者も大勢おりまする。なんでわざわざみずから死なねばならんのじゃ。侍の誇りがなんじゃ。そんなものは捨てて、生きたくても生きられないもののために生きてくだされ」
これも現代的には正論かもしれない。だが、長政は織田方にとって、3年余りにわたって多大な犠牲を払いながら追い詰めてきた宿敵で、ようやく討てるところに至ったのだ。しかも、そこにたどり着くまでに、秀長自身が多くの浅井方の武将や兵を殺している。そんな敵をいざ討てる状況になって、こんな青臭いファンタジックな考えが頭をもたげるなどありえない。
だが、そんな説得も空しく長政が死を選んでからのこと。長政がすでに腹に短刀を突きつけ、1人で苦しんでいるとき、秀長は市に向かって、以前に途中まで語った話の続きをはじめた。
「そこでその大男は、フーと息を吐いたかと思うと、湖の水をすべて飲み干してしまったのです」と語りはじめ、おおむね次のように話は展開した。大男はそうやって、溺れかけた娘を助けたが、じつは愛しているその娘を抱きしめようにも、腹が邪魔してかなわない。そこで大男は、自分で自分の腹に針を刺したが、すると鉄砲水のように水が噴き出し、空に昇っていった大男は、月となって娘を見守るようになった――。
仲野太賀のイメージに関わる
この大男の逸話が、いま死のうとしている長政の市への愛と重なる、ということらしい。しかし、まさにそんな話をしているとき、長政は腹に刀を刺してもだえ苦しんでいるのである。それなのに、秀長は涙を浮かべながらおとぎ話を語り、市はそれに心を打たれて涙するとは、なんという場面なのか。
切腹する者には介錯をするのが武士の流儀であり、介錯は苦しませないためのものであると同時に、武士の尊厳を守るためのものでもあった。
だが、こんなおとぎ話に小一郎や市が感動し合っている間に、長政は介錯をしてもらうこともできず、武士の尊厳を損ねつつ苦しみ続けたのである。最後は、市が長政の介錯をしたが(介錯とは難しく、少しぐらい訓練したところで、女性に簡単にできるようなことではなかった)、どう考えても、御託を並べる前に秀長が買って出るべきものだった。
ことほどさように秀長は、『豊臣兄弟!』のなかの、歴史的状況や当時のものの考え方を無視した、現代的ヒューマニズムにもとづいたセリフを、主人公として一身に背負わされている。それが筆者の見るかぎり、常に上滑りしており、少なくとも筆者は、『豊臣兄弟!』を見ていて、信長や秀吉、そのほかの武将の行動や発言には納得することがあっても、秀長には違和感ばかりを覚える。
そして、おそらく多くの読者が、筆者と同様の感慨を、意識の有無はともかくとして、いだいているのではないだろうか。だから、秀長の人気が出ないのではないだろうか。
秀長はのちに、羽柴政権の「かすがい」のように、多くの大名たちの信頼を勝ち取って政権につなぎ止める役割を果たしたが、それはもっと実質的な交渉に長けていたからで、こんな空疎な言葉を吐いていたからではあるまい。青臭いヒューマニズムから早く解放してあげないと、仲野太賀という俳優のイメージまで低下しそうで心配になる。
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