プロ野球選手会が「ロボット審判(ABS)」導入へ前向き 「判定の精度を上げて欲しい」との思いは分かるが…「そこに審判への敬意はあるのか?」
先週はプロ野球の取り決めである「野球規則」と「アグリーメント」について解説しました。競技に対するルールと、運営に関する取り決めがあるプロ野球ですが、それをグラウンドで運用するのが審判です。試合では選手と同じかそれ以上に緊張している審判たちの苦労はどこにあるのでしょうか?
伝説の抗議
プロ野球でリクエスト制度ができるまでは、審判の判定を巡って監督が抗議し、試合が中断することがたびたびありました。特に、ホームランについては、得点に直接絡むだけに、長時間に及ぶケースが多くみられました。
わけても伝説となっているホームランをめぐる抗議は1978年10月22日、後楽園球場で行われた日本シリーズ第7戦での阪急・上田利治監督のそれでしょう。
この年の日本シリーズは4年連続日本一を目指す阪急と、球団史上初のリーグ優勝を飾ったヤクルトとの顔合わせでした。学生野球を優先するため、ヤクルトは本拠の神宮球場が使用できず、会場は阪急本拠地の西宮球場と、神宮の代替で後楽園球場となりました。
ヤクルト1点リードで迎えた6回裏、レフトポールすれすれにヤクルト・大杉勝男が放った打球を、レフト線審の富沢さんはホームランと判定。これに上田監督が「ポールの左を通っている。ファウルだ」と譲らず、実に1時間19分にも及ぶ猛抗議となりました。
「とにかく試合再開を」とコミッショナーや阪急オーナー代行までがグラウンドに出てきて上田監督を説得しましたが、それでも引き下がらず。もちろん判定は覆りませんでしたが球史に残る抗議となりました。
プロ野球史上、最長試合時間記録となっているのが1992年9月11日、甲子園球場での阪神―ヤクルト戦です。試合ではその年の優勝を左右する、判定を巡る抗議による中断がありました。
この試合、シーズン終盤になって優勝争いで鎬を削るチームの直接対決でした。阪神が勝てば、ヤクルトと入れ替わり首位に立つという大一番です。3-3の同点で迎えた9回裏二死1塁の場面で、阪神・八木裕の左中間への当たりがフェンスオーバー。2塁塁審の平光さんはホームランのジャッジ。サヨナラホームラン、ゲームセット……となるはずでした。
しかし、ヤクルトのレフト・城友博、センター・飯田哲也の二人が「フェンスのラバーに当たってからスタンドに入った」とアピールし、野村克也監督も出てくる中、審判団が集まって協議し、エンタイトル2ベースに判定が変わりました。
この判定変更に納得いかなかったのが、阪神・中村勝広監督でした。サヨナラホームランならヤクルトと入れ替わり首位に立つ殊勲の一発、それが一度はホームランとされながら2塁打と判定され、試合を続けることになったからです。
今度は中村監督が「判定が変わったことは納得いかない」と抗議し試合再開に応じず、没収試合寸前のところで阪神の球団代表が説得して提訴試合にすることを条件に、試合再開に応じました。ホームランをめぐる中断時間は37分に及びました。
当時のアグリーメントでは「延長戦は15回まで」。二死2・3塁で試合は再開されるも阪神は得点できず、延長15回でも決着がつかず、3-3の引き分けに終わりました。
試合時間はなんと6時間26分!
この試合で首位に立つことはなかった阪神ですが、その2日後、一度は首位になりました。しかし、最終的にはヤクルトに2ゲーム差をつけられ優勝を逃しました。
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