「破滅型の人間だった」伝説のアマチュア棋士「小池重明」 40代で“余命1カ月”宣告を受けて書いた“遺書”の中身
舞い戻る先は将棋の世界
名古屋でトラックの運転手などをした後、20歳代半ばで再び上京する。が、その時15歳年上の女性を伴っていた。勤め先で知り合った人妻と駆落ちしたという。
新宿の将棋道場に職を得たが、再び人妻と駆落ちした。その後、運転手になったり、不動産屋で働いたり、日雇い労働にも出た。日雇いでは、体格が良かったために真っ先に雇われ、他人より日当も上だったという。
だがどんな職業も半年も持たず、「まるで禁断症状にかかったように」(知人)好きな将棋の世界に舞い戻るのだった。
二度結婚し、いずれも離婚、二度目の妻との間に娘がいる。だが家庭を大事にする夫ではなく、いつも帰宅は遅く、生活費はもっぱらアルコール代に消えた。
一方アマ将棋界ではスターだった。昭和55、56年のアマ名人戦を連覇し、さらにプロ棋士に挑戦し、当時八段だった森雞二(けいじ)氏にハンデなしの平手で勝って一躍名が轟いた。
アマ将棋界からも追放
そんな折、新幹線の中で、将棋連盟会長だった大山康晴十五世名人と偶然出会った。プロになりたい意向を伝えたところ、申請書を出しなさい、といわれたという。年齢制限には抵触するが、連盟では特例として検討することになったのである。
しかし、棋士会の大方の反対でプロ入りは成就しなかった。小池さんが各地で寸借詐欺騒動を起こしていたことが知れ渡り、その後始末をしていないなど、素行上の問題が拒否反応を呼んだのである。また将棋会館建設のためと称して募った金を流用したりして、やがてアマ将棋界からも追放された。
だが、彼に住居を世話したり、働き場所を提供したりする親しい将棋仲間やスポンサーもいた。その1人、東京や茨城県で幅広い事業を営んでいる古沢文雄さんは、
「うちの石岡市の焼肉店で店長をやらせていたが、3年前にクラブの女と一緒に逃げてしまった。生涯で4回目の駆落ちです。彼は『おれは野良犬だ』といっていたが、飼われることが嫌いな男なんです。しかし憎めない、一緒にいると楽しい男でした」
やりたいことをやって来た
小池さんが逃げて行った先はSM作家として有名な団鬼六氏の家だった。団氏は『将棋ジャーナル』のオーナー(1989年から休刊する1993年まで編集長。1995年に『真剣師・小池重明』を出版)で、そこで小池さんとプロとの対局を企画し、この天才棋士の復活を図った。だがその時小池さんは病魔に襲われていたのである。
「机龍之助(小説『大菩薩峠』の剣士)みたいに、悪いが強い。性格はハチャメチャだが、プロには勝てないという神話を崩した。天性的な強さで、研究などしないらしい。いつか彼の家に行ったことがあるが、将棋盤も駒も置いてないので驚いたことがある。女にもてたのは、彼の幼児性が女の琴線をくすぐるからです」(団鬼六氏)
昨年8月、小池さんは1人で、痩せこけて石岡市へ戻って来た。すぐに病院に入院。肝硬変であと1カ月の命と宣告された。だがそれから半年以上生きた。
遺書には、「やりたいことをやって来たので後悔はない」と書いている。
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