こんな事が起きるのか…プロ野球で実際に起きた“衝撃の珍ホームラン”

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 常識ではあり得ないはずの一発が、プロ野球の歴史には確かに存在する。プロ野球で本当にあった伝説の珍プレーを4回にわたって紹介するゴールデン・ウィーク企画。第2回は、そんな“まさか”の珍本塁打を取り上げる。【久保田龍雄/ライター】

ベリー・ラッキー!

 1987年に来日した大リーグの現役4番打者、ボブ・ホーナー(ヤクルト)は豪快な本塁打を連発して“赤鬼旋風”を巻き起こした。親会社・ヤクルトの株価が急騰するなど、その存在自体が社会現象にもなった。同年は出場93試合で31本塁打を記録。その中で唯一“ショボい一発”として記憶されているのが、6月2日の巨人戦で放った珍本塁打である。

 来日直後の4試合で6本塁打と驚異的な打棒を発揮。1試合3発を記録するなど、“黒船襲来”にもなぞらえられたホーナーは、5月24日の中日戦で7号を放ったのを最後に、5試合本塁打が途絶えていた。

 この日は夫人と2人の子供が来日して張り切っていたが、来日後初対決となった江川卓の前に3打席連続三振と沈黙していた。1点を追う8回無死の第4打席。ホーナーは2番手・鹿取義隆の初球を左翼上空に打ち上げた。明らかな打ち損じで、平凡な左飛と思われた打球だった。

 それでも桁外れのパワーか、打球は詰まりながらもフェンス際まで到達。わずか手前で落下し始め、レフト・松本匡史がジャンプ捕球を試みる。ボールは松本の差し出したグラブの先に当たって大きくバウンドし、そのままスタンドに飛び込んだ。バレーボールさながらの“バックトス”同点本塁打である。

 思いがけず26打席ぶりの8号を手にしたホーナーは「詰まったので入るとは思わなかった」と目を白黒させつつ、「ベリー・ラッキー! 女房と子供が来日した日に打てたのもラッキーだった」と大喜びだった。

 一方、“伝説の珍プレー”の当事者となった松本は「バレーボールのバックトス? そうだね」と言葉少なに振り返っている。その後も、近鉄・鈴木貴久(1991年5月25日・ダイエー戦)、日本ハム・清宮幸太郎(2023年7月8日・ロッテ戦)が、いずれも外野手の“アシスト”によるバックトス本塁打を記録している。

そのまま打っちゃいました

 通常ではあり得ないカウント4-2から本塁打を放ったのが、巨人・吉村禎章だ。NPB史上唯一とも言える珍事が起きたのは1987年10月18日。翌春に東京ドーム開設を控えた後楽園球場、最後のシーズン公式戦となった広島戦である。

 4点を追う巨人は4回1死。吉村がカウント1-2から白武佳久の4球目を見送った。本来なら2-2になる場面だった。ところが、スコアボードの表示はなぜか1-2のまま。誤表示に気づいた山本文男球審が自身のインジケーターを確認すると、やはり2-2だった。

 念のため捕手・達川光男と吉村に確認すると、両者とも「1-2じゃないですか」と口を揃える。吉村は単なる勘違いと見られ、達川は「1-2のほうが有利」という思惑から口裏を合わせたとも解釈できる。山本球審は、そのまま誤ったカウントで試合を再開した。

 吉村は5球目をファウルした後、6、7球目を見送り、カウントは4-2に到達。フルカウントと思い込んだ山本球審は四球を宣告しなかった。巨人・王貞治監督は「“四球じゃないか”と抗議しようと思ったが、間違っていたら恥ずかしい」と静観。広島・阿南準郎監督も「これは儲けた」と内心ほくそ笑み、あえて動かなかった。

 こうした流れが、思わぬ結末を呼び込む。吉村は4-2からの8球目、外角スライダーを左翼席へ運び、シーズン30号に到達した。

 「おかしいなと思ったけど、そのまま打っちゃいました。ホント、ラッキーでした」(吉村)。

 四球に気づかずプレーが続行された例は、2018年8月10日の広島・鈴木誠也までに7例ある。安打を記録した3人の中で、本塁打を放ったのは吉村ただ一人。まさに“瓢箪から駒”の一発だった。試合後、山本球審は「私のミス以外の何ものでもありません」と謝罪。阿南監督も「儲けたと思ったが、人間は正直でなければいかん」と振り返っている。

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