「水撒き」「トンボ」は神業でした…ナゴヤ球場の名物グラウンドキーパー「永田向平さん」が永眠 実況アナが決して忘れられない“職人”との思い出

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 プロ野球の現場を支える裏方には、様々な仕事があります。スコアラーやトレーナーなど、選手と密に行動するスタッフもいれば、試合を滞りなく、安全に進行させるために日々、注意を怠らないプロフェッショナルも。東海ラジオで35年間、プロ野球実況を担当した村上和宏さんにとって、忘れることのできない職人の思い出です。

「この人を知らないともぐりだ」

 今週は、審判について取り上げる予定でしたが、長年にわたりドラゴンズを支えてきたグラウンドキーパー・永田向平さんが、4月23日に83歳でお亡くなりになったというニュースが流れてきました。

 永田さんには新人のころから大変お世話になり、退職されるまで長いお付き合いだったので、訃報に接し、いろいろな思い出があふれてきました。今週は弔いの意味で、永田さんの人物像と思い出をつづります。

 永田さんは1961(昭和36)年にドラゴンズの本拠地、当時の「中日スタヂアム」に入社され、その後2007(平成19)年に退職されるまで、グラウンドキーパーを46年にわたって務められました。

「グラウンドキーパー」と言ってもどんな仕事なのか、ピンとこない方もいらっしゃるかもしれません。

 雨模様の中でも、試合ができるように手際よく作業を行い、そのたびにSNSで「神業」と絶賛される甲子園球場の「阪神園芸」の皆さんを思い出していただければ、なんとなくイメージしやすいと思います。

 私が永田さんに初めてお目に掛かったのは1991(平成3)年の4月。中日スタヂアムから「ナゴヤ球場」に名称が変わったドラゴンズの本拠地を、文字通り「常に最高の状態に保つ」ために日々汗を流されていました。

 ナゴヤ球場でお会いした際、先輩から「この人を知らないともぐりだ」と言われて紹介され、ご挨拶したことを今でもよく覚えています。

 ナゴヤ球場で我々報道陣は、グラウンドキーパーの待機所からグラウンドに出る決まりになっていたので、行くたびに必ず顔を合わせました。

 永田さんの神業の中で、特に思い出深いのはグラウンドへの水撒きです。

 マウンドのプレート後方にある蛇口に、直径10cmはあろうかという巨大な黒いゴムホースをつなぎ、背中側から肩に担いだホースの先を、微妙に指で水圧を調整しながら水を撒きます。しかもマウンド周辺から大きく動くことなくグラウンド全体をきれいにカバーしました。

 ナゴヤ球場は内野が全面土のグラウンドで、バックネットから両ベンチ前までは人工芝という構造でした。

「おい、そこにいると水がかかるぞ」と、ベンチ前にいる我々に声を掛け、土の部分に水を撒くのですが、見事に土と人工芝の境目ピッタリまで水が撒かれました。

「すごいですね」と声を掛けると「そうか?」と一言だけ答えてニコニコ笑う顔が今でも鮮明に思い浮かびます。

 また、風の強い日や乾燥している日は、土の状態を見極め、水をいつもより多く撒く必要があると判断すると、審判に「今日は水撒きに時間が掛かりますから」と断って、常に最高のコンディションを保つことに注力されました。

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