阪神はなぜ連覇できないのか…球界七不思議「連覇なし」の真実

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 阪神が2連覇に向けて順調な戦いぶりを見せている。プロ野球草創期の1937、38年に春秋2シーズン制の年度優勝決定戦でいずれも巨人を下し、プロ球団で初めて連覇を達成したが、2リーグ制以降は連覇がない。球界七不思議と言えそうな珍現象だが、今季こそ“ジンクス”に終止符を打つことができるか。 【久保田龍雄/ライター】

“負の連鎖”が続いて…

 阪神はこれまで1リーグ時代の1947年も含めて7度優勝しているが、翌年も優勝本命に挙げられながら、すべてV逸という結果に終わっている。

 まず47年は、プレーイングマネージャーのエース・若林忠志と藤村富美男、土井垣武志らのダイナマイト打線がかみ合い、2位・中部日本に12.5ゲーム差をつけて戦後初Vを果たした。

 翌48年も連覇が期待されたが、開幕から主軸を担った新人・別当薫が右足骨折で2ヵ月離脱したのをはじめ、投打の主力が入れ替わり立ち替わりリタイアする“負の連鎖”が続き、3位に食い込むのがやっとだった。

 50年から2リーグ制が導入され、セ・パ計15球団に再編されると、有力選手の引き抜き合戦で阪神も主力8人が他球団に移籍して大幅に戦力ダウン。以後、優勝にはなかなか届かなかったが、1962年、小山正明、村山実の両エースが75勝中52勝を挙げる活躍で、2リーグ制以降初Vを飾った。

 だが翌63年は、村山が開幕直後に体調不良で戦列を離れ、主砲・藤本勝巳も内臓疾患でリタイアするなど主力のアクシデントが相次ぎ、15年前同様、3位で終わった。

 同年オフ、エース・小山と大毎の4番・山内一弘の“世紀のトレード”で貧打解消を図った阪神は64年、バッキーがチーム最多の29勝をマークして小山の穴を埋め、首位・大洋に3.5ゲーム差をつけられながらも、残り7試合を全勝、奇跡の逆転Vを成し遂げた。

 しかし、連覇がかかった翌65年は、チーム防御率リーグトップの投手陣をチーム打率リーグ最下位の貧打線は援護できず、シーズン後半に急失速、3位に沈んだ。

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