「狭くすれば打てる」は本当か 球場改造が生んだ“明暗の分岐点”

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 今季は中日の本拠地・バンテリンドームにホームランウイング、楽天の本拠地・楽天モバイルパークにホームランゾーンが新設された。いずれも左中間、右中間を最大6メートル短縮するなど、外野フェンスを本塁に近づけることで近年の投高打低傾向で減少した“野球の華”本塁打の増加を見込んでいる。球場が狭くなった、または広くなったことはチームの成績にどう影響したのか、過去の事例を振り返ってみよう。【久保田龍雄/ライター】

球団創設32年目で初V

 本拠地のラッキーゾーンを3メートル前方に移設したのが、1967年の阪急だ。

 3年間で94本塁打を記録した主砲・スペンサーが開幕前、西本幸雄監督と青田昇コーチに「球場が広過ぎる。もっと狭くしてくれ」と、西宮球場の丸く深い左中間を3メートル前方にせり出し、センターからレフトまでを直線にするよう提案したことがきっかけだった。

 そうすれば、スペンサーの左中間へ飛ぶ打球はことごとく本塁打になり、主砲の本塁打が増えればチームが勝つ可能性は高くなる、という狙いだった。

 4月11日の本拠地開幕戦、西鉄戦。皮肉にもスペンサーは3打数無安打2三振に終わり、左中間に打球は1本も飛ばなかった。それでも、この“3メートル前進作戦”は「阪急は何をしてくるかわからない」と対戦チームを警戒させる意味で効果があった。阪急は相手の自滅による勝利を増やしていく。

 そして6月3日に単独首位に立つと、後半戦は2位以下の混戦に乗じて独走態勢を固め、見事球団創設32年目で初Vを実現した。

 前出の阪急とは逆に、広くなった球場が快進撃を呼んだのが1992年の阪神だ。

 前年までの5年間で最下位4度と低迷が続いていたが、本拠地・甲子園のラッキーゾーンが撤去され、両翼が91メートルから95メートルに広がったことが吉と出た。

 最も恩恵を受けたのは、前年リーグ最下位のチーム防御率4.36に泣いた投手陣だった。
 
 前年1勝7敗の仲田幸司が5月までにハーラートップタイの7勝を挙げ、中込伸も5勝、入団2年目の田村勤が守護神に定着するなど、弱投から一転“投手王国”に変身。打線はオマリー、パチョレックの両助っ人に加え、亀山努、新庄剛志といった広い球場向きの若手が台頭し、6月9日には単独首位に立った。

「(球場が広いと)ポンポン、ストライクを取っていけるんですよ。カウント有利に立てるんですね。球場が狭いと、一発を浴びるのが怖くなりコースを狙ってしまう。それがボール、ボールとなってカウントを悪くし、結局甘い球を投げて打たれるケースが多いんです」(週刊ベースボール1992年6月15日号)と仲田が語っていたように、一発を恐れずに思い切り良く攻め、広島市民球場などの狭い球場でも“攻める気持ち”を失わなかったことが好結果を生んだ。

 同年は最終的にヤクルトに2ゲーム差で優勝を逃したが、2003年の優勝まで続いた暗黒時代の中で、唯一輝きを放ったシーズンだった。

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