「毎年人間ドックを欠かさない夫に突然突き付けられた『余命宣告』」 数々の著名人の命を奪った「原発不明がん」の恐怖と防ぎ方
余命数週間ではないかと告げられて驚愕
これらの方たちに共通するのは「症状が現れ、検査したときには既に、がんの末期であった」点だ。これが「原発不明がん」という病気の一つの特徴である。
実は私の夫、東保雄も原発不明がんによって、66歳で命を落とした。
22年の10月、日課にしているスポーツクラブの帰りに突然、激烈な腹痛を起こし、そのまま緊急入院となった。当初の診断は「十二指腸の閉塞」で入院加療2週間の予定だった。
だが症状は全く改善せず、原因が不明のまま衰弱していく。時は新型コロナ禍。私は病室に入ることもできず、会えるのは数週間に1度、主治医が同席する診察室だけだ。「がん細胞が見つからないのでがんではない」という言葉だけを信じていた。
そして3回目の面談で衝撃的な言葉を聞く。
「当院でこの症状を診たことのある医師はいないので、そちらでセカンドオピニオン先を探せないか」
二人で手分けして探し、診断を仰いだが何の手掛かりも得られない。22年12月末、腹水からがん細胞が見つかり、一時危篤状態に。余命数週間ではないかと告げられて驚愕(きょうがく)する。
夫は抗がん剤を含む新薬の臨床試験に関する仕事をしていた。毎年人間ドックを欠かさず、体調が悪ければすぐにクリニックに行った。神経質なほど体調管理をしていたのに、だ。
その後強引に、がんの拠点病院の一つである都立駒込病院に転院させてはじめて「原発不明がん」であると診断を受ける。抗がん剤治療が選択されたが、副作用が強く出現。転院してわずか1カ月後に治療を中止した。ここで医師から「余命はもって1カ月くらい」と宣告される。
健康管理をきちんとしていた人間が、なぜ
20年前のいかりやさんの場合と違うのは「緩和ケア」の充実である。最期の瞬間まで治療を継続するのか、それとも痛みや苦しみを除く処置だけを行い、最期の瞬間を穏やかに迎えるのかの決定は患者側に委ねられる。私たち夫婦は自宅に戻ることを選択し、夫婦二人だけで死ぬまでの18日間を静かに過ごした。
夫が亡くなった後、私はどうしてもこのがんの正体を知りたいと思い、主治医や専門家、緩和ケアに携わった担当者に取材を行った。発病から死までの約5カ月間の経緯とこのがんの研究・治療の最前線に関する内容を記した著書『見えない死神 原発不明がん、百六十日の記録』(集英社)を2025年10月に上梓した。
反響は大きく、原因の分からないがんで身内を亡くした方などから多くのメッセージを頂いている。
健康管理をきちんとしていた人間が、なぜ突然末期がんを宣告されるのか。
いかりやさんは、宣告の3年前に初期の食道がんを内視鏡手術で切除しており、その後定期健診を欠かしていなかったという。
いくら注意しても、ある日突然襲いかかってくる。それが「原発不明がん」という病気の恐ろしさだ。
病名から「放射能の影響?」と思う人がいるかもしれないが、「原発」といっても「原子力発電所」とは無関係である。
原発不明がんという病名は英語の「CUP:Cancerof Unknown Primary」の直訳で、最初にがんが発生した場所(原発巣)が分からず、転移先でがん細胞が増殖してしまったがんのことをいう。
実はこの「原発不明」であるがゆえに、治療方法が確立しておらず、肺や胃などにできる一般的ながんに比べて生存率は著しく低い。
そもそもがんという病気は、何らかの理由で細胞内の遺伝子が傷ついて変異することが原因である。
細胞の変異は若い頃から起こるが、通常はすぐ修復されて復元する。だが老いてくると変異は修復できずに蓄積されて、がんになる確率が格段に上がるのだ。がん検診が40歳から推奨されるのはそのためである。
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