「中国はローマ帝国にはなれない」――名監督・篠田正浩と語り合った大国の限界と日本の行方
南米ベネズエラに続く中東イランへの軍事攻撃で、アメリカと世界の分断が深まっている。世界のパワーバランスが激変するなか、巨大な経済力と軍事力を背景に権威主義国家として存在感を高める中国はこれから何を目指すのか。
長年、建築と文学から文明の盛衰を探究してきた名古屋工業大学名誉教授の若山滋氏は、新著『漢字文化圏の興亡 中国の限界、日本の前途』で、世界をアルファベット圏と漢字文化圏に大別したうえで、今や「米中で世界を二分」する構えさえ見せる中国について、従叔父で映画監督の篠田正浩氏(1931―2025)との思い出をまじえて綴っている。以下、同書から一部を再編集して紹介しよう。
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中国、ロシア、アメリカとは戦争しない方が良い
19世紀後半から20世紀を経て21世紀初頭まで、漢字文化圏は世界史の表舞台に躍り出た。この勢いはどこまで続くのであろうか。中国はこのまま発展を続けるのか、それとも停滞し混乱し衰退の道を歩むのか。日本は再興するのか、それともこのまま衰退しつづけるのか。
歴史をかえりみると、中国の戦争(軍事拡張)にはひとつの特徴があるように思われる。自国の力が強いときに弱いところへジワジワと拡張していくのだ。ナポレオンやヒトラーや日本軍のような「集中決戦型」ではなく「皇国の興廃この一戦にあり」というような戦いはめったにしない。この国は常に、周辺(特に北西)から国境を脅かされるので、拡張力によって拮抗を保とうとするのだ。まさに「中の国」である。
だから引くべきときには引く。どこまでも引く。奥が深いので、引いても負けない。ロシアにも似たところがある。ナポレオンはモスクワに入城したが空っぽで、補給が続かず帰国を決断する。途上、冬将軍とロシア軍の追手に攻められ、パリに戻ったときには壊滅状態であった。日本は日露戦争に勝ったのだが、ロシアから見れば局地戦であって、ロシア帝国が崩壊したのは革命軍によってである。ヒトラーの電撃機甲部隊もロシアの奥深さには勝てなかった。アメリカは本土を攻められたことはほとんどないが、同じようなことになるのではないか。つまり、中国、ロシア、アメリカは、完全に負けるということがない風土なのだ。建築力学的にいえば「塑性域」のねばり、すなわち部分的に占領された状態での抵抗力が強大である。この三国とは戦争しない方がいい。それを全部やったのが日本という島国、すなわち塑性域のねばりがほとんどない国であった。
話を中国の戦争に戻そう。この国は引いて引いて、たびたび異民族に占領された。しかし中国という国家がなくなったわけではない。異民族に支配されても漢人の官僚は残る。つまり中国の歴史は、漢字文化とその制度の連続の中での、漢人王朝、異民族王朝、分裂王朝が、三つどもえに繰り返しているのだ。そのそれぞれの王朝を「国」と呼んだのだから、本来中国は国ではなく、ひとつの文化圏といえよう。
■中国の夢
弟子の招待で、中国のある有力大学で講演したことがある。世界の建築様式と比べて中国と日本の建築様式の特徴を述べるような内容で、それなりに中国をもちあげ、その講演の最後を次のようにしめくくった。
「中国の夢は世界を幸せにするものでなければならない」
会場は一瞬シーンとなった。そして万雷の拍手が起きた。
シーンとなったのはこの「中国の夢」という言葉によるのだろう。これは習近平主席が就任以来、「中華民族の偉大なる復興」や「一帯一路」とともに繰り返すスローガンで、軍事力でアメリカと対等の国になるということでもある。軍備増強も戦狼外交もこの路線の上にある。もちろんアメリカはこれをよく思わず、今日のような対立を招いたのだ。
そして国民は、その夢の大きさには高揚するものの、その実現には半信半疑というのが本音であろう。そこに、外国から来た一建築家がこの言葉を使ったことに一瞬おどろいたのではないか。そしてそれが特段の異議をとなえるものでなかったことに安心して拍手となったのだと思われる。
腐敗は減ったが……
習近平氏が主席の地位についてまず行ったことは、官僚の腐敗の追及で、これはすぐに効果をあげたようだ。私の弟子たちも腐敗が減ったと評価していた。しかしその粛清が次第に政敵を倒す方向に向かった。権力者の通弊である。民主主義は衆愚と化しやすく、社会主義は独裁と化しやすい。
そして毛沢東と鄧小平に並ぶ英雄像を求めた結果がこういった標語になっている。「習近平思想」といわれるものだ。共産主義の完成を目指す中国では常に、政治指導者は同時に思想家であるべきだというプレッシャーがはたらく。その思想によって、まだ途上とされている革命を続けなければならないということだ。良し悪しは別にして、コロコロ変わる日本の総理大臣とは大違いである。「中国の夢」はその習近平思想を表すのであるが、毛沢東や鄧小平と比べると、抽象的で具体性がないことは否めない。
習近平政権の危うさ
「中国はローマ帝国になれるか」というのは、少し前までの私と篠田正浩監督との会話のテーマであった。ひところの中国にはそれぐらいの勢いがあった。しかし次第に、もろもろの理由で「中国はローマ帝国にはなれない」という結論になっていった。主として漢字圏の限界によると考えていいが、ローマはあいつぐ戦争によって帝国化したので、その後を追ってほしくもないし、現代ではありえないことだ。
中国大使だった宮本雄二氏は、中国の権力と人民の歴史について「緩めれば直ぐに活き、活きれば直ぐに乱れ、乱れれば直ぐに統べ、統べれば直ぐに死ぬ」という興味深い言葉を紹介している(『2035年の中国―習近平路線は生き残るか』新潮新書)。たしかに、毛沢東は革命をなしとげるために統制を強くせざるをえなかった。文化大革命はその行き過ぎで、多くの犠牲者が出た。鄧小平はその反省の上で統制を緩め改革開放の緒についたが、天安門事件では自由を求める性急な活動に歯止めをかけなければならなかった。江沢民、胡錦濤は、鄧小平の路線を継承したが、官僚制度が汚職に乱れたので、習近平はこれを統制した。そしてその統制による経済失速、香港の弾圧、ゼロコロナ政策などによる犠牲者が出ている。そういった視点から習近平政権の危うさを指摘する宮本氏の見方はおおむね正しいと思われる。
中国の変動にどう対処していくか
同様に中国大使だった垂(たるみ)秀夫氏の回想は、尖閣問題への対応など臨場感がある(『日中外交秘録―垂秀夫駐中国大使の闘い』文藝春秋)。習近平政権を「一党支配から一人支配へ」という言葉で表す。台湾に関しては、武力侵攻より平和統一によって日本の国益が損なわれることを心配し、今はみずから構築してきた「戦略的互恵関係」にも見直しが必要と考えているようだ。
こういった著書や教え子たちとのつきあいから分かることは、習近平体制がそのまま共産党政権というわけでもなく、共産党政権がそのまま中国人というわけでもないということだ。わが国は常に、柔軟かつ強靭、慎重かつ機敏な対応を迫られている。そのために重要なのは、政治・経済ばかりでなく、文化・教育を含めた人的交流を絶やさないことである。
今後、現在の共産党政権が、大きくつまずく可能性はある。しかしこの歴史ある漢字文化圏の中核国家が簡単に衰退するとも思えない。問題は、これからの変動をどう乗り越えていくのか、日本はそれにどう対処していくのか、であろう。










