横尾忠則が愛猫「おでん」と過ごした15年 最期は妻の胸の中で
今朝3月12日、飼い猫のおでんが亡くなった。この間から急に体調を崩し、入退院を繰り返していました。そして今日も午前中に入院して点滴を打つ予定だったのが、おでんの様子が急変したので、このまま家で、と思って病院に連れて行くのを止めました。
そこへ病院の先生が飛んで来られたのですが、その寸前に妻の胸に抱かれたまま、逝ってしまいました。僕は残念ながらアトリエで来客の対応のため、おでんを看取ることができなかったのですが、昨日から覚悟をしていたので、おでんと充分に心の中で会話をかわしていました。
おでんは全く身動きのできない状態なのに、「おでん!」と声を掛けると尾っぽを振って応えるのが、なんともけなげでならなかったのです。時には、言葉に出さないで、心の中で、「おでん」と叫んでみました。すると声を出した時と同じように尾っぽを振りました。これには正直言って驚きました。以心伝心が成立した瞬間に、僕は涙がでるほど感動しました。
おでんとの15年間は色々ありました。時にはケンカもしましたが、おでんとはこの間、ほとんど二人で枕を並べて毎晩寝ていました。そんなおでんの最期を看取れなかったことが心残こりです。またおでんも最後の最後に僕の声に応えたかっただろうと思います。そのことが心残こりになったので、おでんに心からわびたいと思っています。よりによってこのタイミングにおでんのそばから離れていた自分が腹立たしいですが、これも世の定めだから仕方ないと自得しています。
おでんの最期は妻の胸の中でした。死の恐怖が愛に変った瞬間を体感し、きっと安心しながら、わが家を後にして、天に昇っていったことでしょう。そしてわが家を生まれて初めて上空から見下し、自分はこの緑に囲まれた美しい成城の街に住んでいたのか、ときっと実感しているはずです。いつも朝になって出掛ける僕が、実は絵描きさんで、家からそう遠くないアトリエに毎日出掛けていたんだということを初めて認識したことでしょう。
おでんは自分が横尾家に来る前に、わが家の目と鼻の先きにあったオフィスで、3人姉妹の一匹として生まれました。ある時、外界に好奇心が芽生えて雨の日にフト玄関から出た瞬間、軽トラにはねられて、全治何ヶ月かの大ケガをして入院したことがありました。それが切掛けになって、わが家でおでん一匹の面倒を見ることになったのです。そして、われわれ3人家族の一員として、今日までの15年間、毎日寝食を共にする生活が始まったのです。
おでんがわが家に来る前には、タマという猫がいました。そのタマもおでんと同じように15歳で他界しました。タマがいなくなったあと、寂しさにたえられなくなって、死んだその日からタマの肖像画を描き始めました。その絵はざっと89枚にもなりました。そしてタマへの想いがやっと断ち切れた頃、おでんがやってきたのです。
そのおでんの鼻の下のチョビ髭のような黒い斑点は母親ゆずりです。決して美人とはいえないかも知れませんが、おでんを抱きかかえて顔の前で会話をかわす時は、いつも驚ろいたように目を白黒させて、こちらの心の中を探ぐるような表情をしていました。
そんな時、僕は冗談でおでんに「タマのようにおでんの絵を描いてあげるからね。でも、おでんが生きている間はスケッチ程度の絵を日記帖に描いているけれど、本格的な絵は、おでんが死んだら描いてあげるからね」と約束をしていました。だけど、ともすると、こっちがおでんより先きに死ぬかもわからないという不安もありました。
以前、妻は、「夫が一番、二番がおでん、三番は野良のおお黒(ぐろ)、そしてその次が私」と順位をつけていましたが、最近はその順位が、「一におでん、次におお黒、猫の次が夫、その次が私」と変更されていました。
そんな1位のおでんが、今日、われわれ夫婦より先きに、行くべき所に逝ってしまいました。家の中がポカンともぬけの殻のように空洞化してしまいました。僕はいつも自分が空洞化して空っぽになることを願望していました。それは空っぽになることで空っぽの絵が描きたかったからです。
それが本当に家ごと空っぽになってしまいました。硬直して固くなった身体のおでんが、応接間のテーブルの上にまるで瞑想して横臥禅のポーズで横たわっています。そこに秘書の徳永が買ってきた小さい花が添えられています。なんとも寂しい風景です。先ずこのおでんの涅槃像から描くことにしましょう。そして、タマの絵と同じだけの枚数を描くことをおでんに約束します。
あとは先きに逝ったタマにおでんのことをよろしく頼むしかありません。
「タマ、おでんのことよろしくたのむよ」。おでんの画集のタイトルはこのようにしましょう。まさかと思ったが、おでんがわれわれ老夫婦より先きに逝ってしまうなんて。かつての僕の冗談「おでんが死んだら描いてあげるよ」といったことが現実になってしまうとは。いずれわれわれ夫婦もタマとおでんの後を追って、「そちらに行くからね。そしてタマとおでんを迎えた新しい家族を作ろうね」。


