「俵孝太郎」に始まり「トシちゃん」で目覚めた… ミラクルひかるが「ものまね人生」を語る
(全2回の第1回)
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上手さと面白さが共存する、現在においては希少なものまねを披露するミラクルひかる(45)。家族が楽器を嗜んでいたことで、歌や音楽が好きだった幼少時からものまねをしており、小学生の時にその面白さに目覚めた。世に知られるようになった「宇多田ヒカル」では本人からも絶賛されるほど。ミラクルのものまねはこの先、どこへ向かっていくのか。
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身内が喜んで味しめたものまね 両想いの男の子よりものまねを取る
記憶に残る最初のものまねは、2歳時、父に教わったネタだった。
「『こんばんは、俵孝太郎です』というのを教え込まれて、やっていたんです。それをやると、『センスがいいね』なんて身内にそれがウケて、みんな喜んでくれて。それに味をしめたんでしょうね」
小学校に上がった当初は、人前に出るのが苦手なタイプだった。ところが小学3年生のとき、いつも一緒に帰っていた同級生の女子が田原俊彦のものまねをした。「やってみなよ」と促されミラクルも田原俊彦をやると、結構ウケた。これが”目覚め“だった。
「その子はコロッケさん風のトシちゃんのまねをしたんです。それがウケてたのが悔しくて、『えい、やってやれ』と思ってやったら私もウケたんで、それでスイッチが入っちゃったんですね。忘れもしない小3の節分の日。それからは毎日、人を集めてものまねするようになりましたね」
人気テレビ番組だった「オレたちひょうきん族」(フジテレビ系)の再現や、小中学生の定番でもある先生のものまねなどを披露してウケをとっていた。その腕前は担任の先生にも認められ、“発注”を受けるようにもなった。
「ピンクレディーの『ペッパー警部』をやってくれないか、なんて言われて、例の友だちとものまねをしながら帰ってました。私たちの世代の曲じゃないんですけどね(苦笑)。小中高と9年間ぐらい毎日、ものまねをしてましたね。みんなのストレス発散になってすごく平和な空気で、いじめなんかもなくなるし。あとは目立ちたい気持ちがあって」
恥ずかしがり屋から目立ちたがり屋へすっかり変わり、ものまねがやめられなくなった。小4では気になる男子と両想いになりかけたこともあったというが……。
「その頃、私のニックネームが『コロッケ』だったんですよ、モテたいのに(笑)。で、その両想いになりかけた子に『ものまねやめたら好きだ』って言われて。でも私は変に男気を見せて、『無理だ』って断っちゃったんですよ(苦笑)」
美容師見習いになるも……友人の言葉がきっかけで
父がジャズバンドでベースを弾いており、母もピアノを嗜む家族で育ち、小さい頃から音楽、歌うことも好きだった。
「私も楽器はいろいろ習ったんですが、全然ダメで。その代わり歌にめちゃめちゃハマって。合唱部に入ったり、『オペラ留学したい』なんて言ったり。ただ出身が兵庫県の田舎なので、夢を見ちゃいけないというか、そういうことを真面目に言ったら笑われるような空気がありました。なので高校卒業後は姫路に出ようかと思っていたんですが、実家が美容院をやっていて、母が昔、東京の学校に行っていたこともあって、私も卒業の数カ月前に急に『東京に行ってみる』と言い出したんですね」
1998年春に上京し、山野美容芸術短期大学に入学。楽しい日々を過ごし、美容師見習いとして就職したが、その先に厳しい日々が待っていた。
「いわゆるスパルタな感じの職場で、寝れない、食べられない。お金も満足にもらえず、3年間働いたんですが、ボロボロになりまして。それで地元に戻ったんですが、『東京に負けた』という感覚があって、それが嫌で、アルバイトでお金を貯めてもう一度上京して何かを達成しようと思ったんです」
同じ美容関係でも、今度はエステ業界に飛び込んだ。男社会だった美容師の世界から女性ばかりがいる職場だったが、本人の中ではしっくりこなかった。
「そもそも興味がなかったんでしょうね。それに人の作ったシステムの中で、その人のこだわりに乗っかっているのが面白くなかったというのもあります。まだ20代の初め頃でしたが、『人生こんなもんかな』と絶望してましたね。そんな頃、友達に『芸人とかやってみたらいいじゃん』って言われたんですよ」
その場では「まさか!」と否定したものの、自身の中では無上の喜びも感じた。
「その言葉は“お導き”みたいな感じでしたね。好きなことをやって食べていっちゃいけないと潜在的に思わされていた部分もありましたから。どうせ失敗するなら大いにやってやろう、と思えたんですね。心の扉を開いたら『1度テレビに出てみたい』という思いがあふれてきました。何をやったら出られるだろう。作詞作曲もできないし。可愛いわけでもないし。でもものまねがある、と思いました」
ついに一歩を踏み出した。
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