清原和博が満塁火消し、岡本和真は延長戦へ…センバツで投げた名選手列伝

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マウンドよりバッターボックスのほうが居心地良かった

 PLといえば、福留孝介もセンバツで甲子園初マウンドを経験している。1995年の1回戦・銚子商戦。PLの4番・福留は1対1の3回2死一、三塁のチャンスにバックスクリーン一直線の勝ち越し3ランを放ったが、その後、試合は壮絶な打ち合いとなり、7対7のまま延長戦へ。投手としての出番がやってきたのは11回1死。前川克彦が2ランなどで決定的な3点を奪われると、ショートを守っていた福留が3番手としてマウンドに上がった。

 同年のPLは絶対的なエースが不在というチーム事情もあり、遠投120メートルの強肩を誇る福留も府大会などで登板していた。MAX140キロ前後の直球に加え、カーブ、スライダー、シュートもマスターしていたというから、本職も顔負けである。「配球を組み立てたりするのは好きだった。バッターを見て、ここに投げたら打たれないんじゃないかなとか考えるのがすごく好き」と“投手脳”にも秀でていた福留は、後続2者を三振、一ゴロに打ち取り、無失点で最後の攻撃に望みをつないだ。

 だが、反撃を期したその裏、福留は先頭打者として二ゴロに倒れ、そのまま7対10で思いもよらぬ初戦敗退となった。試合後は「自分が主将を務めながら、1勝もできないなんて…...」と敗戦の責任を一身に背負っていた。

 今季からブルージェイズでプレーする岡本和真も、智弁学園時代の2014年センバツでマウンドに上がっている。1回戦の三重戦で2本塁打を放ち、大会ナンバーワンスラッガーの名をほしいままにした岡本だったが、2回戦の佐野日大戦では田嶋大樹(現・オリックス)の内角スライダーを打ちあぐね、4回無死三塁、6回1死三塁のチャンスにいずれも三振に打ち取られてしまう。

 そして4対4の9回裏、3番手としてマウンドへ。

 「僕がゼロに抑えれば、(延長戦に入り)また攻撃ができる」との決意を胸に、最速140キロの速球で3者凡退に抑えた。だが、延長10回に安打、四球、犠打野選で無死満塁のピンチを招く。ここから2者連続三振と気迫の投球を見せたが、次打者・小泉奎太に対し、直球が甘く入るところを左前に弾き返され、無念のサヨナラ負け……。「マウンドよりバッターボックスのほうが居心地良かったです」と投手の苦しさを吐露している。

“本職ではない”選手の中に

 本職は捕手ながら、センバツで公式戦初登板のマウンドに立ったのが、2017年の福岡大大濠・古賀悠斗(現・西武)だ。絶対エースの三浦銀二(元DeNA)が、2回戦の滋賀学園戦の延長15回引き分け再試合など3試合すべてを一人で投げ抜いた疲労から、準々決勝の報徳学園戦では登板できなくなった。

 そこで、控えの2年生2投手に低めを投げさせ、打たせて取るリードに努めた古賀だったが、5回終了時点で1対6と大きくリードされた。そして、1点を返した6回から古賀がミットをグラブに持ち替え、「思ってもみなかった」甲子園のマウンドに上がることになった。

 2日前にブルペンで約50球投げただけの急造投手は、この回2死後、小園海斗(現・広島)にタイムリー二塁打を浴び、8回にも岡本蒼に右越えソロを被弾したものの、2三振を奪い、8回までの3イニングを2失点で投げ抜いた。試合は3対8で敗れたが、古賀は「きれいな景色だったけど、すごいプレッシャーだった。三浦はすごい。プレッシャーのある中で動じることなく投げていた」と、改めてエースの偉大さを実感したという。

 その後、彼らは野手、あるいは捕手としてプロの世界に進み、それぞれの道を歩んでいった。センバツでは今年も好投手に注目が集まるが、思わぬ形でマウンドに立つ“本職ではない”選手の中に、後に大きな足跡を残す存在が隠れているかもしれない。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新著作は『死闘!激突!東都大学野球』(ビジネス社)。

デイリー新潮編集部

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