「こんな人は他にいない」…研究の途から落語に飛び込んだ「桂米朝さん」、消滅待ったなしの「上方落語」をいかに救ったか

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

仕草ひとつにも完全を期した

 落語はお客を催眠術にかけるような芸と言っていた。物語の世界に思い切り遊ばせたお客を、最後に一瞬のうちに現実に引き戻すのだ。

 長く交友のあった演劇評論家の権藤芳一さんは言う。

「様々な登場人物の風俗習慣を表現するので落語は百科事典のようだとも言い、仕草ひとつにも完全を期した」

 他の芸能からも貪欲に学んだ。38年には、山田さんや権藤さんをはじめ、上方芸能の第一線で活躍する顔触れと一緒に同人誌「上方風流(ぶり)」に参加している。

「端正な語り口で、上方落語を全国区にしたのも米朝さんの功績です。昭和42(1967)年に私が東京で独演会を持ちかけて実現し、満員になったことを喜んで下さった」(演劇評論家の矢野誠一さん)

 訪れた立川談志さんも満足して帰り、ほめたという。

研究書など著作は約30冊

 桂ざこば、桂枝雀、桂吉朝ら、弟子の育成にも熱心だった。

「教育者でしたね。すれ違いざまにピシッと言ったりもする。弟子は多彩ですが、師匠のような落語を目指して越えられなかった面もあるのでは」(権藤さん)

 持ちネタは130を超え、研究書など著作は約30冊。大学でも教鞭を執った。

 妻は大阪松竹歌劇団出身。長男は落語家となり、平成20(2008)年に五代目桂米團治を襲名。その下の双子は、教師、県の埋蔵文化財を調査する考古学の専門家と、米朝さんの才能が3人の子にうまく受け継がれている。

内輪での呼び名は「ちゃーちゃん」

 一門やスタッフの皆と同じ楽屋で過ごすのが好きで主催者は気さくさに驚いた。内輪では誰もが親しみを込めて、チャーちゃんと呼ぶ。長男が幼くてお父ちゃんと言えなかった時の呼び名だ。

 近年は脳梗塞や骨折により、落語を披露することはなかったが、平成25(2013)年にも一門の会に姿を見せていた。

 平成27(2015)年3月15日、肺炎のため、89歳で眠るように旅立つ。

〈芸人は、米一粒、釘一本もよう作らんくせに(中略)好きな芸をやって一生を送るもんやさかいに、むさぼってはいかん。ねうちは世間がきめてくれる。ただ一生懸命に芸をみがく以外に、世間へのお返しの途(みち)はない〉

 師匠の米團治に言われたこの教えを生涯肝に銘じ、実践していた。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。