WBCで再注目…高代延博さんの“寝そべり”はなぜ語り継がれるのか 伝説の三塁コーチ列伝
日本時間の3月14日からワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の決勝トーナメントが始まった。侍ジャパンは残念ながら準々決勝で敗れたものの、18日の決勝戦まで連日手に汗を握る熱戦が繰り広げられるが、試合の重要局面では、三塁コーチの咄嗟の判断が勝敗を分けることが少なくない。ファンの記憶に残る伝説の三塁コーチを振り返ってみよう。【久保田龍雄/ライター】
目線の下に潜り込んだのが…
WBCの試合中に“寝そべりパフォーマンス”で名を馳せたのが、侍ジャパンの高代延博コーチである。
2013年の2次ラウンド、台湾戦。1点を追う4回2死二塁で、坂本勇人が投手を強襲する打球を放ち、ダイビングキャッチを試みた遊撃手のグラブにも当たってはじかれた。二塁走者・糸井嘉男は、打球がセンターに抜けると判断し、一気に本塁を狙った。
だが、直後に軌道を変えた打球は二塁手の前に転がり、捕球されてしまう。このまま糸井が本塁を突けば、アウトになる可能性が高かった。
これを見た高代コーチは、うつぶせの姿勢でグラウンドに寝転び、人工芝を手で叩きながら必死に制止した。糸井が下を向きながら全速力で走っていたため、「普通の体勢でストップを指示したら、たぶん通り過ぎていた」と判断し、「彼の目線の下に潜り込んだのが、地べたに寝るような形になった」のだという。
コミカルな動作にスタンドからは笑いが漏れたが、結果的にこの体を張ったパフォーマンスにより、オーバーランした糸井は慌てて三塁に戻り、間一髪セーフとなった。今なお“伝説のアクション”として記憶される名場面である。
高代コーチは、現役引退後の1990年から広島の1軍守備・走塁コーチに就任し、山本浩二、三村敏之両監督の下で三塁コーチとして腕を振るった。
99年からは“星野中日”の三塁コーチを務め、阪神時代の野村克也監督は「あいつのサインは解読できん」と悩まされたことから、“日本一の三塁ベースコーチ”の呼称で呼ばれ、一目置かれた。
落合博満監督時代の06年には、シーズンを通じて本塁でのクロスプレーでアウトになったのが1度だけという抜群の“青信号”ぶりを発揮し、リーグ優勝に貢献している。
その後、WBCのコーチなどを経て、23年から関西六大学の大阪経済大の監督を務めていたが、昨年12月、食道胃接合部がんで他界した。享年71。XではWBCの伝説シーンの動画が上がり、「高代コーチ亡くなったんか」など、ファンから哀悼の声が相次いだ。
何か起きたのかと思った
伝説の三塁コーチといえば、西武時代の伊原春樹コーチの名が挙がる。1987年、巨人との日本シリーズ第6戦で、走者の辻発彦と阿吽の呼吸で成功させた“伝説の走塁”は、今なおシリーズ屈指の名場面として語り継がれている。
3勝2敗と日本一に王手をかけた西武は2対1の8回2死から辻が左前安打で出塁したあと、続く秋山幸二が中前に打ち返した。打球を処理するクロマティの緩慢な動作を見た辻は一挙三塁を狙ったが、伊原コーチがものすごい勢いで手を回しているのを見ると、「何か起きたのかと思った」と、そのまま一気に本塁を突いた。
クロマティから山なりの返球を受けたショート・川相昌弘は、辻が三塁で止まると思って対応が遅れた。その結果、シングルヒットで一塁走者が長駆ホームインするという奇襲作戦は鮮やかな成功を収めた。結果的にこの3点目が、西武の2年連続日本一を決定づけたと言ってよいだろう。
実は、伊原コーチは巨人のシーズン中のビデオを徹底的に分析し、クロマティが自分で勝手に状況を判断して緩慢な返球を投げる欠点に着目していた。
「第5戦にも1度あったが(3対0の1回2死一塁で伊東勤が中前安打)、この日のために自重した。こんな場面が必ずもう一度あると信じていた」
取っておきの秘策は、シリーズの最も効果的な場面で奏功したのである。その一方で、伊原コーチは阪神時代にプロレスさながらのアクションシーンも披露している。
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