「長嶋」「王」「星野」のようなスター性はないが… “いぶし銀”の井端氏が侍ジャパン監督に選ばれた必然

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打撃タイトルとは無縁

 代表監督は、あらゆる方面に顔が利くことが求められ、常にプロ野球界の“大物OB”が務めていた。長嶋以降の監督と、その主な経歴を並べてみると以下のようになっている。

長嶋茂雄(03年アテネオリンピック予選)
通算2471安打・444本塁打 監督通算1034勝(リーグ優勝5回・日本一2回)

王貞治(06年WBC)
通算2786安打・868本塁打 監督通算1315勝(リーグ優勝4回・日本一2回)

星野仙一(08年北京オリンピック)
通算146勝・34セーブ 監督通算1181勝(リーグ優勝4回・日本一1回)

原辰徳(09年WBC)
通算1675安打・382本塁打 監督通算1291勝(リーグ優勝9回・日本一3回)

山本浩二(13年WBC)
通算2339安打・536本塁打 監督通算649勝(リーグ優勝1回)

小久保裕紀(15年プレミア12・17年WBC)
通算2041安打・413本塁打

稲葉篤紀(19年プレミア12・21年東京オリンピック)
通算2167安打・261本塁打

栗山英樹(23年WBC)
通算336安打・7本塁打 監督通算684勝(リーグ優勝2回・日本一1回)

 合計8人のうち超一流選手の証しと言われる名球会入会基準の2000本安打を達成している大打者が5人。原も2000本安打には到達していないが、長嶋、王の後の巨人の4番を長く任されたチームの“顔”と言える存在だった。指導者の経歴としては王、星野、原の3人は代表監督を務めた後の数字も含まれているが、それ以前にも十分な実績を残している。選手としての実績という意味では圧倒的に乏しいのが栗山だが、日本ハムの監督として2度のリーグ優勝と1度の日本一を経験しており、何よりも大谷の二刀流を後押しさせたという意味では唯一無二の存在とも言える。栗山が監督でなければ23年のWBCに大谷とダルビッシュの2人がチームに加わることは難しかっただろう。

 井端も中日、巨人で通算1912安打を放ち、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞7回に輝いており、球史に残る名選手であることは間違いないが、選手のタイプ的には完全なチャンスメーカーであり、打撃タイトルとも無縁である。またプロ球団での指導者としての経歴も、引退直後に3年間巨人で内野守備・走塁コーチを務めただけで、監督経験もない。これまでの代表監督と比べると、どうしても圧倒的なネームバリューやスター性に欠けると感じた野球ファンも多かったのではないだろうか。

「参考になった」意外な監督の名前

 そんな“いぶし銀”というイメージの強い井端だが、監督としての初陣となったアジアプロ野球チャンピオンシップを終えての野球界の反応は上々だ。優勝という結果を出したことはもちろんだが、監督就任から大会までの準備期間が短かったにもかかわらず、それについても全く言い訳めいたことを口にすることはなく、試合後のインタビューでも的確な受け答えをしていたという点が大きいように感じられる。

 多くの指導者は選手時代にプレーしていた監督の影響を受けることが多い。井端も中日時代は星野に始まり山田久志、落合博満のもとでプレーしており、巨人に移籍した時の監督は侍ジャパンでも結果を残した後の原だった。また中学生の時、対戦したチームの港東ムースを指導していた野村克也(元・ヤクルト監督など)にピッチャーからショートへの転向を勧められ、プロ入り後も頻繁に挨拶をしていたという縁もある。そんな井端が監督になった時に参考になった選手時代の経験を訪ねると、あがったのはプレーした期間が長かった星野や落合ではなく、原の名前だった。

井端「中日時代は基本的にレギュラーでずっと試合に出させてもらっていたので、あまり采配とか試合の流れについてゆっくり考える余裕はなかったですよね。ベンチからサインや守備位置の指示が出て、『ん?』と思うようなケースも当然ありましたけど、すぐに試合は流れていくわけですから、監督やコーチの指示通りに動かなくてはいけません。そういう意味では巨人に行ってからの経験は大きかったですね。シーズンが始まる前に(同学年の)高橋由伸と自分が原監督に呼ばれて、『お前たち2人はもういい年齢なんだから、今後を考えて野球の勉強をしなさい』って言われたんですね。由伸も自分も代打とかで試合の途中から出場するケースが多くて、大体1回から5回くらいまではベンチにいることが多かったですから。だから2人で並んで試合を見ながら、『あー、この場面はこうかな?』とか色々意見を言い合っていました。原監督も采配とかで気になったことがあれば、『何でも聞いてくれ』と言ってくれたので、いつもではないですけど試合が終わった後に『なぜあの時は強攻だったのか』『その意図は何だったのか』とか聞きに行くこともありました。そんな風に野球をしっかりと考えるようになったのはその時からですね。もちろんプレーする準備もあったので、いつもジーッと見ていたわけではないですけど、試合の途中から出場するうえでも、ゲームの流れとかをしっかり見極めておいた方が良いということも、原監督の意図としてはあったのかもしれません。だからスタメンで出場する機会が減っても、それを逆にプラスとしてとらえられたというのはありますね。解説者になってからももちろん、監督の意図や試合展開を考えながら見ていますけど、ベンチから見ているのとはやはり見え方が違います。だから現役時代にグラウンドレベルで試合の流れを考えながら野球を見られたというのは大きい経験でしたね」

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