ドバイ移住「わらべ」倉沢淳美が語る“イラン攻撃”緊迫の日々 愛犬2頭を抱いて地下へ避難…「空から異常な爆音、本当に恐ろしく」
「わらべ」として一世を風靡
アイドル時代からは、考えられない暮らしである。もともと倉沢は、萩本欽一の人気番組「欽ちゃんのどこまでやるの!」(テレビ朝日)で結成した3姉妹ユニット「わらべ」の“かなえ”役として82年9月から出演したことでキャリアを築いた。「わらべ」は欽ちゃんが命名したもので、同番組のマスコット的な存在となった。
その「わらべ」として発売したデビュー曲の「めだかの兄弟」(82年)は90万枚の大ヒット、続く第2弾の「もしも明日が…。」(83年)はミリオンヒットとなり、お茶の間の話題を独占した。84年には倉沢淳美として1人立ちし「プロフィール」でソロデビューも果たした。歌詞の中に自らの名前「淳美」を入れたこの曲は、当時、オリコンのシングル・チャートで1位にランクインするなど国民的な人気となった。
前出の夫、ジェームス・ラング氏とは5年の交際を経て95年に結婚した。ドバイ生活も、石油関連会社に勤務するジェームス氏の仕事の関係である。ただしドバイへ移住が決まった際は「知識が全くなく決断に2年がかかった」そうで「生活に馴染むまで半年以上かかった」と、海外生活は簡単ではなかったようだ。
長女は日本で活躍
15年が経った今も、暑さや宗教文化に苦労することが多いというが、日本とドバイを行き来しながらタレント活動を続ける。所属事務所であるリバティーハウスの崎本則幸社長は、
「日本ではドバイ在住の元アイドルとして独自路線を持っています。毎年、数回ですが帰国していますが、ここ数年はファンイベントの参加者は増えています」
と倉沢の芸能生活について明かす。また、日本では長女のケイナ(27)が芸能活動をしている。
「ケイナは日本に住んで活動しているので、ドバイに暮らしている両親のことは心配でならないようです。軍事攻撃が開始されてからは毎日連絡をしていますが、現地の通信環境や状況などもあって、通じないことも多いようです」(崎本社長)
倉沢に以前のような日常が戻ってくるのは、まだ時間がかかるのかもしれない。





