いまやCMランキングでも長澤まさみと肩を並べる「最強ママドル」に…熱愛発覚で“モー娘。脱退”も藤本美貴がひとり勝ちできる理由
通算3度の別名義紅白出場
やがて03年1月に藤本のモー娘。入りが発表され、5月にメンバーとしてお披露目、05年7月にはサブリーダーに昇格する。06年6月に松浦と結成したユニット「GAM」とともに「GAM&モーニング娘。」として同年の紅白に出場。その時点で、藤本、モー娘。、そして「GAM&-」を合わせて、史上5人目(女性では3人目)の「通算3度目の別名義紅白出場」を達成した。
「藤本さんが加入したころのモー娘。の人気は下降気味でした。なので、藤本さんには起爆剤になることが期待されていました。彼女はそれに応え、07年5月に5代目のリーダーに就任。ところが、ここから激動の日々を迎えることになるのです」(音楽業界関係者)
リーダー就任直後の5月末、庄司との岩盤浴デートを写真誌で報じられ、リーダー就任からわずか25日でモー娘。を脱退(6月1日)。レギュラー出演していた番組を次々と降板し、翌年2月まで芸能活動を休止するハメになった。
「アイドルは恋愛禁止というのは、現在でも“暗黙の了解”。おまけに、モー娘。のリーダーだったため、ファンや運営側に激震が走りました。しかし、藤本がすごかったのは、自らモー娘。の脱退を申し出て、仕事のない日を耐え忍んだうえ、庄司との交際を継続したことです。08年5月、ハロプロに所属したまま、所属事務所をアップフロントエージェンシー(現・アップフロントプロモーション)から、同じアップフロント傘下のジェイピィールームへ移籍。後に藤本は、『島流し』と呼ばれる左遷であったことを明かしています」(先の記者)
前述のバースデーイベントでのこと。庄司はいきなり藤本の脱退について話を切り出し、「ご無沙汰しております。その節はどうもすみませんでした」とファンに謝罪した。そのうえで、「来年で(モーニング娘。を)脱退してから20年ですよ。みんなやりたいよね。卒業式! 武道館でやりましょうよ」と提案。すると、藤本も「私も卒業式をやりたい! 手紙を読んだりして。夢に目標に掲げます」とノリノリ。
さらに、庄司は藤本の事務所に謝罪に行った時のことを、「『終わった』と思いましたよ。殴られる覚悟で事務所にあいさつに行ったのを覚えてますが、意外に優しかった。その優しさが怖かった」と振り返ると、藤本は大爆笑。続けて庄司は「当時はSNSがなかったので良かった」と笑いを誘った。
今や、2人にとってすっかり“持ちネタ”となった藤本の脱退劇だが、脱退から約2年後の09年7月に藤本は庄司と結婚し、12年に第1子男児、15年に第2子女児、20年に第3子女児を出産。
「庄司さんとの交際を貫いて結婚し、幸せな家庭を築き、ママタレとしての地位を確立したことから、いまや世間の好感度が非常に高い。もともとハロプロ勢はトーク力も高いのですが、ソロとなってからは年々、場数を踏むことでさらに磨かれました。モー娘。のリーダーまで務めたこともあり、姉御肌で、トーク番組では視聴者の悩みにも、世の中の母親たちの気持ちにも寄り添える、希有な才能の持ち主です」(テレビ局関係者)
[2/3ページ]


