凜として美しい「藤村志保」の意外な一面 「忌野清志郎」を一目惚れさせたチャーミングな素顔とは

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清志郎の「アイドル」

 なんと手作りのおにぎりと漬け物を持参し、私たちにも振舞ってくれたのだ。こんな経験は初めてで、感激しつついただいた。おにぎりは小ぶりで、お世辞でもなんでもなく美味しかった。「美味しいです」とパクパク食べる私たちを見ながら、ご本人は「ふふふ」とほほ笑む。このカットを撮りたかった~!

 そして始まった対談。

 忌野清志郎には藤村をモデルにした「アイドル」という楽曲がある。あの娘が大好き~という情熱的な歌詞で、ライブでも歌われている。この日は藤村の出演作のレーザーディスクを持参し、「初めて見たとき、こんな可愛い人がいるのかと思った」と憧れの人を前に照れている感じがとてもよかった。そんな大事な彼女が映画ではひどい目に遭う役も多いという話も出たが、実際の現場では女優を大切にしてくれたという。

「『眠狂四郎』の撮影でも、肌を出す場面ではとても気を使ってもらいました。困ったのは『大魔神怒る』のとき、私は火あぶりになる役で白装束になって手足を縛られるんですが、監督は迫力あるシーンにしたいから当時は本当に火を使うし、大変だったんですよ」

 1966年に公開された「大魔神」シリーズは、埴輪のように穏やかな顔だった巨大石造が、悪人に虐げられた人々の願いによってにわかに怒りの表情を持つ大魔神となり悪を滅ぼすという特撮映画。大映京都撮影所が培った時代劇の技術が活かされた3部作で「大魔神怒る」(監督・三隈研次)はその第2弾だった。

 このころから東京でのドラマの仕事も増えていたが、「カツライス」と呼ばれた大映の二枚看板・勝新太郎と市川雷蔵はもちろん、多くの共演者や監督と出会えた京都での映画の経験は宝だと言う。

「天真爛漫な勝さんと役に入ったときは素顔とは別人の雷蔵さん、二人はライバルと言われましたが仲は良かった。雷蔵さんが亡くなったと知らせがあったときは、突然だったこともあって撮影所に悲鳴のような声が響いて、みんな何も手につかなくなった。一気に暗い雰囲気になりました。雷蔵さんから一度だけ『テレビは面白いか』と聞かれたことがありましたね」

 大映が倒産したのは、雷蔵が亡くなった2年後の1971年だ。

 対談からしばらくして、私は藤村さんに誘われて忌野清志郎のライブに行くことになった。藤村さんはノリノリで実に楽しそうだった。このカットも撮りたかった~!

ペリー荻野(ぺりー・おぎの)
1962年生まれ。コラムニスト。時代劇研究家として知られ、時代劇主題歌オムニバスCD「ちょんまげ天国」をプロデュースし、「チョンマゲ愛好女子部」部長を務める。著書に「ちょんまげだけが人生さ」(NHK出版)、共著に「このマゲがスゴい!! マゲ女的時代劇ベスト100」(講談社)、「テレビの荒野を歩いた人たち」(新潮社)など多数。

デイリー新潮編集部

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