宝塚を「クビ」に、同じ演技を20回以上やり直してもあっけらかん 「淡島千景」の類まれなる「陽性」と「母性」【昭和女優ものがたり】
小津作品と映画史に残るエピソード
松竹のトップスターとなった淡島は、次々と有名監督から声がかかる。そして、小津安二郎監督「麦秋」(1951年)にも出演することになった。そこで淡島は、映画史に残る有名なエピソードを残す。20回以上同じ演技のやり直しがあったのだ。
結婚の報告をする友人(原節子)に「あなた、その話決めたの」と言いながら湯飲みを口にやるシーン。それに対して小津は、「手が早い」「目が早い」「首が遅い」とやり直させるのだ。
淡島は後にこの時のことを「それがね、あんまりこたえないんですよ、わたしは(笑)。言われるのが好きなんですね」とあっけらかんと語っている。(川本三郎『君美わしく 戦後日本映画女優讃』文藝春秋)。実際に作品を観ると「えっ、この数秒のシーンが」と思うのでぜひ確認してみてほしい。
この「問題の演技」の後の淡島が素敵だ。原が地方に嫁ぐことを心配して、「あんたって人、庭に白い草花を植えちゃってショパンなんかかけちゃって、タイルの台所に電気冷蔵庫なんか置いちゃって、こう開けるとコカコーラなんか並んじゃって、そんな奥さんになるんじゃないかと思っていたのよ」と身振り手振りで話す。
ここには当時の女性の憧れと淡島の陽性さが、原が演じる旧来の日本女性と対比されている。まさしく「受けの演技」のうまさだろう。
小津の「早春」で早くも大女優の域に
小津は厳しい演技指導をしたが、淡島を気に入っていたようだ。なぜなら「早春」(1956年)では主役に起用しているからだ。
東京・蒲田に住む夫婦(池部良、淡島千景)は6年前に子供を亡くしている。夫は通勤仲間の1人、金魚と呼ばれる女性(岸惠子)と親しくなり一晩を共にする。やがて、妻に浮気が発覚するが同時に岡山へ転勤の話が出る。
夫に不信感を持ちながらも、何とか関係を修復しようとする淡島の凛とした佇まいがとても美しい。淡島は早くも「大女優」の域に達しようとしていた。
代表作「夫婦善哉」
その1年前には、淡島にとって代表作となる名作に出演する。豊田四郎監督の「夫婦善哉」(1955年)だ。
淡島は、東宝からの出演交渉に「私は宝塚から馘首にされている身分ですから」と一度は断ると、東宝はかつて「馘首」の貼り紙をした掲示板に「取消し」の告知をして迎え入れたという(「文藝春秋」1995年12月号)。
舞台は、昭和初期の大阪・船場。化粧品問屋の跡取り息子・柳吉(森繁久彌)と売れっ子芸者・蝶子(淡島千景)は駆け落ちをするが、柳吉の父親は怒って息子を勘当する。生活に困った2人は、蝶子がヤトナ芸者となり乗り切ろうとするが……。
森繁は役者として注目され始めた頃だ。淡島に「これで俺は男になりたいんだ。だから協力してほしい」と手紙を出したという(「キネマ旬報」2010年1月上旬号)。その意気込みは作品に溢れ出ている。道楽息子の、根気のなさやわがまま、開き直り、妬みなどを見事に体現しているのだ。
そして、淡島はその森繁を真正面から受け止める演技を披露する。
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