「死刑にしないでね」カネと“自分”を報酬に殺人依頼…3人の命を奪った毒婦は女性の死刑執行「戦後第1号」

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「現金2万円と体」で殺人を依頼

 サダメが連続殺人を行った同じ年、「塩原お伝」と呼ばれる女も殺人に手を染めていた。小林カウ、当時52歳。栃木県塩原温泉の「ホテル日本閣」を舞台にした事件の主役である。

 埼玉県熊谷市で菓子や漬け物を作り、行商をしていたカウが塩原温泉で土産物屋を開いたのは、昭和31年のこと。続いて食堂も開店する。カウの次の夢は温泉旅館の経営だった。

 昭和33年、カウは経営不振の旅館「ホテル日本閣」の生方鎌輔社長(52)と知り合い、肉体関係を結ぶ。カウは社長夫人に納まるべく、生方に妻ウメ(47)との離婚を迫る。だが、ウメはうんと言わない。

「いっそ殺ってしまおう」

 カウはホテルの下働きの大貫光吉(37)に、「現金2万円と体を許す」という条件で殺害を持ちかけた。昭和35年2月8日、大貫はウメを絞殺し、地下1階の床下に埋めた。

 カウは日本閣に入り込み女将然として振る舞い始めるが、すぐにホテルの経営状態を知ることになる。巨額の赤字を抱え、すでに競売にかけられることが決まっていたのだ。

「死刑にしないでね」

 怒ったカウは、今度は大貫に生方社長殺しを持ちかける。昭和35年大晦日の夜、大貫は生方の首を絞め、包丁で頸部を切り付け殺害し、ホテルの床下に埋めた。

 事件の発覚はあっけなかった。酔っぱらった大貫が飲み屋で口を滑らせたからである。栃木県警の捜査が始まり、翌36年2月20日、カウと大貫は逮捕された。捕まった時、カウは係官にこう言ったという。

「死刑にしないでね」

 逮捕後、カウは昭和27年に死んだ夫の秀之助(49)についても取調べを受ける。実は夫が亡くなった当時、カウには若い警官の愛人がいた。県警の追及にカウは、警官と共謀し、秀之助に風邪薬と偽って青酸カリを飲ませて殺したことを認めたのである。

 公判でカウは夫殺しを否認したが、死刑判決を免れることはできなかった。“昭和の毒婦”とも呼ばれたカウは、昭和45年6月11日、戦後の日本で女性として初めて死刑に処された。

(以上、「週刊新潮」2009年11月26日号「09年版 日本の毒婦130年」より)

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 刑場で首を落とされた後、解剖されて――。第1回【夫の死で人生一転、遺骸の一部がホルマリン漬け標本に…明治を代表する「毒婦」たちの激動生涯】では“毒婦”の代名詞となった高橋お伝や、元新橋芸者・花井お梅のエピソードを紹介している。

デイリー新潮編集部

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