「死刑にしないでね」カネと“自分”を報酬に殺人依頼…3人の命を奪った毒婦は女性の死刑執行「戦後第1号」

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第1回【夫の死で人生一転、遺骸の一部がホルマリン漬け標本に…明治を代表する「毒婦」たちの激動生涯】を読む

「毒婦」とは悪知恵に長け、人に害を与えるような女性を指す言葉だが、なぜか人を引き付ける妖しい引力がある。明治から昭和の頃、日本では多数の「毒婦」が報じられ、時代の寵児となることもあった。その筆頭がいまも頻繁に語られる阿部定だろう。では、他の面々は? 「週刊新潮」のバックナンバーから「毒婦史」を紐解く。

(全2回の第2回:以下、「週刊新潮」2009年11月26日号「09年版 日本の毒婦130年」を再編集しました。文中の役職、年齢等は掲載当時のものです)

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3人を毒殺した“熊本の毒婦”

 明治期“毒婦”と呼ばれた女は、お伝やお梅のほかにもいた。明治4年、歌舞伎役者と関係を結び、旦那を毒殺した「夜嵐お絹」は明治の“毒婦”第1号。強盗、窃盗、恐喝を重ねて、明治14年に逮捕された大阪生まれの「島津お政」は“西の毒婦”と呼ばれた。

 大正を経て昭和に入ると、またも世上騒然となる出来事が起きる。昭和11年の阿部定事件だ。愛人を殺し、切り取った性器を持ち歩くという猟奇的事件に巷は興奮した。定は“毒婦”とも“妖婦”とも呼ばれた。

 戦後、高度成長時代の昭和35年12月に起きた熊本女3人毒殺事件の農婦・杉村サダメ(49)は“熊本の毒婦”と呼ばれた。〈訪問者つぎつぎ毒殺/金ほしさの中年女/三人死に一人重体〉(読売新聞 昭和35年12月31日付)と報じられ、犯行は荒っぽい。

 サダメには16万5800円の借金があった。最初の標的は、サダメの姑クラさん(80)。姑がいつもバッグに財布を入れているのを知っているサダメは、乳酸飲料に農薬ホリドールを混入して飲ませ、殺害した。医師が脳卒中と判断したため、犯行が露顕することはなかった。だが、クラさんの財布を手に入れることはできなかった。

女性として戦後2人目の死刑執行

 2人目の犠牲者は隣家の主婦・嘉悦タケさん(47)。長男が結婚したばかりなので、その祝儀金を狙おうと企み、馬肉に農薬を塗って食べさせ殺害した。しかし、またもや財布は奪うことができなかった。

 3人目のターゲットは古い知り合いの女行商人(46)。

〈行商に行きタイミソをすすめられ、食べたら間もなく意識を失い、近所の人に助けられて自宅に戻ったが重体。さいふから一万三千円を抜き取られたが、サダメは翌日盗んだ金で借金払いをした〉(読売新聞 昭和35年12月31日付)

 3回目の犯行でやっと金を手にしたサダメは、4人目の狙いを同じ行商の奥村キヨノさん(51)に定め、農薬入りの納豆を食べさせて殺害した。が、財布から出てきたのは10円玉1枚、5円玉1枚だけだった。

 犯行は全て単独だったが、実はサダメには内縁の夫がいた。昭和28年に前夫と死別。昭和32年から乳酸菌飲料配達の男と同棲していた。しかし、男は妻子持ち。稼いだ金は全て自分の家に送っていたため、2人の生活費はサダメの負担だった。男のために借金を重ねたといえなくもない。サダメは女性としては戦後2人目の死刑を執行された。

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