【ばけばけ】「ワカレル、シマス」「イウデキナイ」… ヘルンさん言葉”に見るセツと八雲の信頼関係

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ヘルンさん言葉の手紙で近況を伝え合う

 セツが語る「私たち二人だけの日本語」「この特別な日本語」とは意味深な表現だが、要は、2人が2人だけのために使う、いわば2人のための方言のような日本語だった。長谷川洋二氏は『八雲の妻 小泉セツの生涯』(潮文庫)にこう書いている。「何より印象的なのは、語調や表情から細かな含みまで感じ取ったセツが、その片言日本語を、ハーンの語意語法に驚くほど忠実に、また徹底して用いたことである」。

 つまり、セツはヘルンに合わせて、動詞や形容詞を活用させないばかり、「ワタシ、タベル、カラシレンコン」のように、語順までハーンに合わせることで、夫との意思疎通を円滑にしたというわけだ。

 夫妻が日ごろ、会話でもちいた「ヘルンさん言葉」は、明治29年(1896)に2人が東京に転居して以降、交わした手紙で確認することができる。たとえば、明治30年(1897)からは毎夏、ハーンは子どもたちを連れて静岡県の焼津ですごし、その間、東京で留守を預かるセツと、たがいに手紙で近況を伝え合った。

 明治35年(1902)7月25日付のハーンからセツへの手紙(焼津小泉八雲記念館所蔵)には、次のように書かれている。

「小・ママ・アナタ・ノ・カワイイ・テガミ・アリマス・ワタシ・ヨロコブ。ウメ・サン・ノ・アタラシイ・イエ・ミマシタ。ワタシ・ト・アナタ・イチ・ニチ・フタリ・ミヤウ・シヤナカ。かづを・サクシツ、ハジメテ・フカイ・ウミ・ニ・トリマシタ・五・トキ・かづを・フ子ニ・ヲヨギマシタ」

 ほとんどカタカナで、ごく一部に漢字とひらがなを使い、息子の様子を含む近況を生き生きと伝えている。後半は普通に漢字かな交じり文で書くと、こんな感じだ。「一雄、昨日、初めて深い海にとり(入り)ました。五時(回)、一雄、船に泳ぎました、と、帰りました」。

「水、オソレル、フカイノ、トコロ」

 明治37年(1904)8月10日付のハーンからセツへの手紙(同)は、こんな書き出しである。

「小ママサン スタシオン(駅) ニ タクサン マツノ トキ アリマシタナイ。ソノ ヨナ コドモニ ICE CREAM ヤル ムツカシイ デシタ」

『ばけばけ』の松野トキという名は、この手紙の「マツノ トキ」から取られたのだろう。また「アリマシタナイ」は典型的な「ヘブンさん言葉」で、「ありませんでした」という意味である。

 さて、これに対して、セツは返書にどんなことをどう書いたのか。明治37年8月12日付の手紙(池田記念美術館所蔵)の冒頭には、こう書かれている。

「グド、パパサマ、アナタ、ノ、カワイ、テガミ、3トキ、ワタシノテニ、アリマシタ。ヨロコビデ、ワライマシタト、セップン、シマシタ、ヤイズノ、テイボウ、ノ、エ、オモシロイデス子ー。ヨキテンキデ、テンノイロキレイデス子ー。TOKYOオナジ、マイニチ、アツイ、デスヨ。かづを、タクサン、ヨロコビ、デ、オヨギ、スル、ト、キク。ワタシ、オナジ、ヨロコビデス、スコシ、水、オソレル、フカイノ、トコロ、タクサンヨロシ、デス、アブナイ、アリマセン」

「3トキ」は「3度」、「子ー」は「ねー」。「よろこんで泳いだと聞いて私もうれしい」と書くところを、わざと「ヨロコビ、デ、オヨギ、スル、ト、キク。ワタシ、オナジ、ヨロコビデス」と表記している。また、「少し深いところで水を恐れるのもいいでしょう、危なくありません」と書くところを、「スコシ、水、オソレル、フカイノ、トコロ、タクサンヨロシ、デス、アブナイ、アリマセン」と記している。

 日本語を分解して、単語を原型に戻し、時に語順も変える。ハーンが考案したハーンにとって使いやすい日本語に、妻のセツも寄り添って、ほかの日本人には伝わりにくい「ヘブンさん言葉」を縦横に駆使した。こうして2人は、夫婦のよい関係をたもったのである。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

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