「人のために常に明るく楽しく振る舞っていましたけど…」 専属カメラマンが明かす「西田敏行さん」の“本当の顔”

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 2024年に76歳で世を去った西田敏行さんには、“専属のカメラマン”がいた。公の仕事から私生活まで、長年にわたってあらゆる姿を切り取った写真家の山岸伸氏(75)が語った名優との縁、そして知られざる素顔とは。

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「いなくなったとは全然思えない」

 西田さんをレンズ越しに見つめること40年超。山岸氏は、彼がこの世に存在しない実感が今も湧かないという。

「亡くなってから1年以上が過ぎましたが、西田さんがいなくなったとは全然思えません。だってほら、そばにいるから」

 そう言ってほほ笑んだ氏が指し示したのは西田さんを撮った数々の写真。二人の出会いは1980年にさかのぼる。

「新曲のレコードジャケット撮影の依頼で小田原の廃校に行ったのですが、別の撮影が押して何時間も校庭の片隅で待機していたんです。マネージャーは“もうちょっと待ってろ”ぐらいなもんでしたが、西田さんは自らあいさつに来て“長い時間お待たせしてごめんなさいね”と声をかけてくれた。撮影後、海辺の食堂で一緒にごはんを食べましたね」

 以降、マネージャーから「西田と気が合いそう」と言われて依頼を受け、“専属カメラマン”になった山岸氏。それこそ数え切れないほど行動を共にしたという。

「出会った翌年に『もしもピアノが弾けたなら』が大ヒットして国民的人気を博しても、西田さんの気さくな人柄は全く変わらず、サービス精神旺盛でいつも人を楽しませようとしていました。ジャケット写真を私が撮ったからか、ヒット記念パーティーで“伸ちゃんにもなんかあげなきゃなぁ。何がいい? 俺のベンツやろうか”って。もちろん遠慮しましたけどね。86年の主演映画『植村直己物語』では、北極圏での撮影の空き時間に一緒にスノーモービルに乗っていたところ、勢い余って飛行場に突っ込んでしまったこともあります」

肌着でくつろぐ姿も

 山岸氏が撮影した写真は、肌着でくつろぐ自宅での姿から、真剣なまなざしで舞台化粧を施す際の横顔まで、実に多岐にわたる。

「一緒のときはオンオフ問わず写真を撮っていました。“今撮らないで”と言われたことは一度もありません。だから何も着ていない姿以外は全部撮っていると思います。80年代にCMや映画の撮影で海外に赴いた際も、西田さんが泊まる高級ホテルの部屋によく遊びに行ったものです。いつも“おう、伸ちゃん、一緒に朝飯食べよう”と快く迎えてくれました」

しっかり自分の足で……

 最後に会ったのは、亡くなる1年半ほど前のこと。

「西田さんの体調がよくない中で、マネージャーから“ちゃんとした写真を撮る機会がないので”と言われ、先方が私のスタジオに撮影に来ました。車をスタジオにベタ付けして、そこから数歩ですが、しっかり自分の足で歩いていた。元気な表情で、スタジオに額装で飾っていた西田さんの写真を“これいい写真だね。もらっていい?”と言ってくれて、プレゼントしたんです。このときにスタジオで撮った写真が、葬儀で遺影として使われました」

 西田さんがこの日に着ていたスーツ一式を、山岸氏は形見分けでもらったという。

「先日、ふと思い立って袖を通してみたんですよ。そしたらサイズが小さかった。がっしりしてた西田さんが、こんなに小さくなっちゃったんだって……」

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