“ホテル密会”に“学歴詐称”でも出直し選挙に出馬する「女性市長」……“潔い引き際”よりも“堂々と反論して辞職しない”が支持される時代とは
“旧常識”と“新常識”の違い
以来、忠臣蔵は舞台、映画、テレビドラマと何度も取り上げられ、浅野内匠頭や四十七士が切腹する場面は常に観客の涙を誘った。「花は桜木、人は武士」という有名なことわざも、室町時代の名僧として知られる一休宗純の言葉だと言われている。
「潔く辞めることが求められたのはトップだけではありません。大企業の部長や課長、政治家の秘書が組織を守るために自ら辞職すると、少なくとも昭和の頃までは評価する声が多かったものです。ただし以前に比べて、こうした“常識”が崩れてきているのも事実でしょう。例えば私の父は昭和一桁世代で、汚職事件などのニュースで関係者の自死が報じられると『気持ちは分かる』と同情的でした。しかし昭和34(1959)年生まれの私は『組織のために死ぬ必要はないのでは?』と疑問を抱いたものです。当時から“ジェネレーション・ギャップ”が存在したわけで、まして現在の若者は組織を守るために自死を選ぶことなど信じられないでしょう」(同・碓井教授)
たとえ昭和であっても、組織のために命を投げ出す必要などないはずだ。
とはいえ、一切弁解せず、反論せず、黙って辞任するトップの姿は美しい──そう受け止めること自体は、そこまで偏った感覚ではないように思われる。
“石破おろし”にも垣間見えた「常識」
2024年10月の衆院選、25年6月の都議選と7月の参院選で自民党は敗北。その結果、当時の党総裁だった石破茂首相に辞任を求める“石破おろし”が吹き荒れた。
「潔くない」、「トップの座にしがみついている」との批判が渦巻く中、石破氏は9月2日の自民党両院議員総会で「地位に恋々とするものでは全くございません。しがみつくつもりも全くございません」と反論した。
興味深いことに「首相を辞めない」と批判された石破氏も「出処進退は潔くあるべき」という“常識”を共有していることが分かる。
だが田久保氏も小川氏も「市長を辞め、とりあえずは一市民に戻る」という道を選ばなかった。「出処進退を巡って『潔さ』を重視する私たちの“常識”が、どんどん変化しているのも事実だと思います」と碓井教授は指摘する。
「社員が不祥事を起こしたことで、社長が記者会見で頭を下げ、辞任を発表するのを見ると、私たちは従来の“常識”に照らし合わせて一度は納得します。しかし、心のどこかで『社長本人が何かしたわけじゃないんだよな』と“常識”に異議を唱えたくもなります。欧米では日本型の引責辞任は理解されないという指摘もあります。また以前は原節子さんや山口百恵さんのように潔くすっぱりと芸能界を引退するスターが賞賛されていましたが、今は吉永小百合さんのような“永遠の現役”に憧れの視線が注がれる時代になりました」
「女性のリーダーシップ」とは?
碓井教授は「人間の常識や価値観の変化は常に揺り戻しが起きますから、将来を予測するのは難しいです」としながらも、「問題を指摘されても堂々と反論し、絶対に辞めないというトップに日本人が違和感を覚えない時代が来るかもしれません」と言う。
絶対に辞めないトップは是か非か──伊東市長選や前橋市長選では重要な論点となったが、ここで注目すべきは田久保氏と小川氏が共に女性であることだ。
あまりにも男性中心主義だった旧来型のリーダーシップには欠陥が多数あると指摘されている。ところが女性がリーダーになっても、“男性型リーダーシップ”の欠点は改まらないのではないか──という指摘が増えているのだ。
第2回【批判の集中砲火を浴びても“彼女たち”が市長の座にこだわる理由とは…「田久保眞紀氏」「小川晶氏」と高市首相との“決定的な違い”】では、“武士の妻”という女性から浮かび上がる“理想のリーダーシップ”について詳しくお伝えする。
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