「壊れるまでやっていこうと思った」 “横綱の重圧”味わった「白鵬」の決意と挫折 本人が明かす(小林信也)

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もう一つの富士山

 双葉山の境地を目指す白鵬がしばしば口にしたのが〈後の先〉という言葉だ。

「双葉山さんは立ち合いでまわしを取りにいっていない。ぶつかり稽古で胸を出すような感じで上体も起こしている。それなのに、〈後の先〉を取っているから、すでに相手を制している」

 白鵬がそこを目指したのは“横綱の重圧”を実際に味わったからだと言う。

「横綱になって負けた翌日、土俵に上がるのが怖かった。もう負けるわけにいかない。重圧で笑顔はなくなります。崖っぷちにいる人間が笑えますか。その時に分かりました。富士山の麓が大関の心。富士山のテッペンが横綱の心。さらに上にあるもう一つの富士山、それが双葉山の境地です」

 だが、〈後の先〉の体得は容易ではなかった。しかも〈受ける相撲〉は、どうやら白鵬の性に合わなかった。

「13年初場所の三日目、妙義龍に押し出しで負けた時、〈後の先〉を捨てました。その代わり、壊れるまでやっていこうと思った」

 5分でも息が上がるぶつかり稽古を三段目のころは45分もやらされた。

「幕下時代も毎日30分。最後は口の中で血の味がする。切れてはいないのになぜだろうと思っていたら、引退後に分かりました。激しい運動をし過ぎると肺の毛細血管が切れる。あれはその味だったんです」

小林信也(こばやしのぶや)
スポーツライター。1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部などを経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』『武術に学ぶスポーツ進化論』など著書多数。

週刊新潮 2025年12月4日号掲載

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