「壊れるまでやっていこうと思った」 “横綱の重圧”味わった「白鵬」の決意と挫折 本人が明かす(小林信也)
もう一つの富士山
双葉山の境地を目指す白鵬がしばしば口にしたのが〈後の先〉という言葉だ。
「双葉山さんは立ち合いでまわしを取りにいっていない。ぶつかり稽古で胸を出すような感じで上体も起こしている。それなのに、〈後の先〉を取っているから、すでに相手を制している」
白鵬がそこを目指したのは“横綱の重圧”を実際に味わったからだと言う。
「横綱になって負けた翌日、土俵に上がるのが怖かった。もう負けるわけにいかない。重圧で笑顔はなくなります。崖っぷちにいる人間が笑えますか。その時に分かりました。富士山の麓が大関の心。富士山のテッペンが横綱の心。さらに上にあるもう一つの富士山、それが双葉山の境地です」
だが、〈後の先〉の体得は容易ではなかった。しかも〈受ける相撲〉は、どうやら白鵬の性に合わなかった。
「13年初場所の三日目、妙義龍に押し出しで負けた時、〈後の先〉を捨てました。その代わり、壊れるまでやっていこうと思った」
5分でも息が上がるぶつかり稽古を三段目のころは45分もやらされた。
「幕下時代も毎日30分。最後は口の中で血の味がする。切れてはいないのになぜだろうと思っていたら、引退後に分かりました。激しい運動をし過ぎると肺の毛細血管が切れる。あれはその味だったんです」
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