“あさま山荘事件”で人質に 牟田泰子さんがかたくなに口を閉ざした理由 「私は死んだ方がよかったのか、と悩んでいた」【追悼】

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「言った覚えのないことがたくさん記事に」

 山荘は翌73年秋に再建され、夫妻は再び管理人に。会見を求められると泰子さんはほほ笑むのみ、代わりに郁男さんが話すようになる。

「体験を考えれば無理もないと納得し、世間話しかしませんでした。次第に信用してくださったのか、家に上げてくれるようになり、郁男さんとやりとりを重ねるうちに、ふと泰子さんが口を開いたのです。御守りを犯人から渡されたと報じられていますが、私が持っていたものですとおっしゃった。新聞や週刊誌には自分が言った覚えのないことがたくさん記事になった、犯人に大切にされたなど一言も言っていませんとも話してくれました」(久能さん)

 取材依頼は続いたが、夫妻は意見を主張しなかった。

「聞かれたことに答えただけでなぜ問題にされるのか、私は死んだ方がよかったのか、と泰子さんは悩み、口を閉ざした、私も悔しかったと郁男さんは静かに振り返っていた」(久能さん)

 昨年、老人ホームに入り、11月13日、85歳で逝去。

「悲報はその日のうちに郁男さんから伝えられました。年に2~3回は電話で話していました。事件を考えることはないと言いながら、心の中では終わっていなかったと思います」(久能さん)

 自分のため警官が犠牲になったと感じ続けた。慰霊の日には人目を避け、夫妻で花を手向けていたという。

週刊新潮 2025年12月4日号掲載

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