「雅子さまと兄君を批判」で物議 「秋篠宮殿下」21年前の大波紋「お誕生日会見」を振り返る 【11月30日に還暦】
雅子さまを意識
秋篠宮殿下の皇太子殿下に対する苦言はこれだけにとどまらなかった。後の関連質問の中で、記者が、
「皇太子さまが今後、宮内庁と共に、時代と共に変わる公務の在り方について考えていきたいと仰っている。雅子妃殿下のご病状の回復のために、皇室全体としてどういうような方向性が望ましいのか、お聞かせください」
と尋ねた。すると、殿下は熟考したうえで、次のように述べられたのだ。
「私が自分でいつも思っているのは、自分のための公務は作らない。つまり、自分がしたいことというのは色々あるわけですけど、それがイコール公務かどうかは別ですね。私は公務というのはかなり受け身的なものであるのではないかなと、(中略)依頼を受けて、非常に意義のあることであれば、それを受けてその務めをする。私自身はそういう風に考えて、今までずっと来ています」
明らかに、「皇室外交に取り組みたかったのに、あまり海外に出してもらえなかった」とご不満を抱かれ、それも体調不良の原因の一つとされた雅子妃殿下を意識された内容なのである。
エチケット違反
先の担当記者が言う。
「会見は50分ほどだったのですが、最後に雅子妃殿下へのあてこすりで、ダメを押した感じです。弟宮が兄宮夫婦をたしなめたわけで、正直言って、“大変なことになったな”という思いで引き揚げてきました」
今回の発言を皇室評論家の松崎敏弥氏はこう見る。
「11月6日、両陛下は“被災者と直に触れ合いたい”と言われ、新潟県中越地震の被災地を見舞われました。ところが、その前日に皇太子ご一家の方は栃木の御料牧場にご静養に出かけている。療養目的とはいえ、何もこの時期に行かなくても、と冷めた目で見る国民もいたかもしれない。“兄貴は何を考えているんだろう”という思いが秋篠宮殿下にはあったのでしょう」
この問題で、両陛下や他の皇族と皇太子ご一家の溝が深まるのではないかと危惧するのは、皇室ジャーナリストの河原敏明氏である。
「このようなご発言は、皇室では近年にない異例のことです。基本的には、皇室において、肉親同士を批判することはエチケットとして、いけないことと受け止められているからです。今や皇室の中で雅子さまの味方は皇太子1人だけ。お気の毒ですが、これで皇太子と雅子さまはますます孤立した格好になりますね」
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以上が21年前の衝撃の記者会見の顛末である。
秋篠宮殿下には従来、奔放で型破りとのイメージが付きまとってきた。兄君より大柄で、口元には髭を蓄えられている。お若い頃はサングラスを掛けてお出ましになり、お酒が好きでスナックにはボトルをキープ……。2004年の大胆な会見は、こうしたご性格の発露でもあったのだろう。
この会見の2年後、秋篠宮家には悠仁さまがご誕生。皇室には41年ぶりの男子誕生となり、秋篠宮家には「皇統の危機を救った」との賛辞が相次いだ。一方の東宮家は、雅子妃がご静養を続け、愛子さまも学習院初等科にご進学後、一時不登校に陥られるなど、混乱が続いた。それと比較して「やんちゃな次男坊」の存在感は増す一方で、「秋篠宮が天皇になる日」という特集が雑誌で組まれるほどになった。
しかし、2018年、眞子さんと小室圭さんとの結婚が延期になったことを機に「潮目」は変わる。騒動が長引くに連れ、秋篠宮家の「親子不和」が表面化。また、「秋篠宮家は公より私を優先している」などとの批判も出てくるように。宮家としての存在感が増す中、奔放、型破りなお振舞いが逆に懐疑的な目で見られる要素となった可能性も否めない。他方、皇后陛下となられた雅子さまは次第にご回復傾向となり、愛子さまも無事に学生生活を終えられ、立派な社会人となられた。今では世論調査をすれば「愛子天皇」賛成派が70%を超える。
このような状況下で、秋篠宮殿下はどのように会見に臨まれるのか。会見では、今年、アメリカでご出産された眞子さんに関しての質問が出る可能性もある。小室夫妻とのご関係は改善するのか。そして初孫との初めてのご対面はいつになるのか。今年もそのお一言お一言が注目の的となりそうである。
関連記事「『紀子さまは愛をもって接してくださらない』 厳しいご指導に職員がため息 『ねぎらいのお言葉など、まるでない』」では、秋篠宮妃・紀子さまによる、職員への厳しいご指導について詳述している。
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