文系だった息子は医学部へ、同期アナは弔辞で“これからも相談するから答えて” 「菅谷大介さん」が遺したもの
“冷静だけれども熱い”
02年から箱根駅伝の実況に携わる。
「駅伝も事前取材が膨大です。菅谷君は自分の声や顔が出ない部分でもコツコツやる。それが表現や質問の厚みになる。“冷静だけれども熱い”は、アナウンサーへの最高の褒め言葉ですが、プロレスの小橋建太選手の引退試合、東海大学が優勝した箱根駅伝での菅谷君はまさにそうだった。現場の空気にのまれずに感動を伝えられた」(徳光さん)
22年1月、膵臓がんと判明。手術を経て職場復帰、同年8月にがんを公表し、闘病体験も語り始めた。
今年も箱根駅伝の優勝インタビューのほか、長時間の実況も問題なかった。11月2日には国内男子ゴルフツアーの実況を担当。7日、局での勤務を終え帰宅後に不調を訴えた。容体が急変し翌8日、53歳で逝去。
1男1女を授かっている。
「菅谷君がいかに家族思いだったか、多くの人に慕われていたか葬儀で改めて分かりました。文系の大学を志望していた息子さんは家族で闘病に寄り添う中で、人の命を救いたいと医学部に進路を変えて見事に合格された。同期で箱根駅伝でも一緒に仕事をしていた蛯原哲アナは“これからも相談するから答えてくれ、一緒にいるんだ”と弔辞で語りかけていました。思い出話より心に染みました。棺にお花を手向けて別れを惜しむ人は絶えなかった。棺を覆う直前に家族そろって写真を撮る姿に泣けてきた。早過ぎたけれども家族に恵まれ、仕事にも人にも分け隔てなく大切に向き合い続けてきた菅谷君は輝かしい」(徳光さん)




