記者から日銀副総裁にまでなった「藤原作弥さん」 山口淑子さんに信頼されたエッセイストとしての人生

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満州の語り部を貫いた

 98年、日銀の副総裁に任じられ、世間を驚かせた。

「内部管理担当の副総裁とはいえ記者出身の特異な人事で、他の報道機関からやっかみもあった」(小宮さん)

 お飾りと言われながら、5年間で給与水準の引き下げや支店事務所の統廃合、資産売却などを実現した。

『李香蘭 私の半生』は、91年に劇団四季によりミュージカル化された。

「姉は最初どんな舞台になるか心配して、藤原さんが窓口役になってくれました。この作品で若い方々が李香蘭を知って下さった。そこまで姉のことを思った恩人です。毎年、公演で会うのが楽しみでした」(山崎さん)

 今年も姿を見せていたが、10月17日、肝細胞がんのため88歳で逝去。

 ソ連軍の犠牲になった同胞の慰霊も地道に続け、満州の語り部を貫いた。

週刊新潮 2025年11月13日号掲載

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