10人以上の部下を潰してついた異名は“ハカイダー” 陸上自衛隊「パワハラ陸将」が“幹部”教育機関トップに出世した“不可解人事”のワケ
貯金通帳を見せろ
第1空挺団といえば、自衛隊唯一の落下傘部隊として知られるエリート集団だ。当時の戒田氏を知る関係者が言う。
「10人程度の規模で行う射撃訓練のやり方を考えろと、戒田さんが部下に命じた時のことです。イメージどおりのものを部下が持ってこないと納得せず、月1で進捗を報告する場ではバインダーを投げつけ『どうなっているんだ!』と怒鳴ることがありました。やり直しの期間も『3日後まで』『明日まで』と次第に短くなり、担当の隊員は明け方まで仕事をして『1時間だけでも妻に会いたい』と官舎に帰り、また出勤するというひどいあり様でした」
その戒田氏の思い描く射撃訓練像は、30代で留学した米国のものがモデルだったのではと推察する。
「それを自衛隊の規則に無理に当てはめた結果、味方への誤射を避けるため隊員どうしの距離が開きすぎて、十分な連携が取れない形になりました。誰も戒田氏に進言できないまま訓練はお披露目の日を迎えたのですが、隊員が機転を利かせてトランシーバーを使うことで、何とかボロが出ずに済みました。実戦では再現できないため、この訓練方法は他部隊にほぼ広まらなかったと聞きます」(同)
ある元隊員は「戒田氏の下では一挙一動に気を張る必要があった」と振り返る。
「貯金通帳を見せろというのもそうですが、とにかくすべて細かく管理したがるのです。例えば資料の書式が指定と少しでも違えば内容を見てももらえませんし、プレゼンの際もスライドを指すレーザーポインターの位置を誤るだけで『なんだそれは!』と怒鳴りつける。『お前みたいな奴は前代未聞』『こんなこともできないのか』といった人格否定も当たり前で、メンタルを壊したり退職したりする人が10人近くはいました」
有料版の記事【陸上自衛隊「パワハラ陸将」が“幹部”教育機関のトップに 政界からも疑問視される“不可解人事”の理由とは】では、戒田氏が幹部教育機関のトップに出世を果たした理由や政界から上がる声について、詳しく報じている。





