「ファッション」が寿命を延ばす!? “年相応という言葉は死語”と語る横尾忠則(89)のお気に入りは

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 昔に比べれば現代は誰もがかなりファッショナブルになりました。ファッションは肉体に一番近い環境です。そんなファッションが今日のようにファッショナブルになった、その切掛けは1950年代に遡って石原裕次郎の登場ではなかったかなと思います。当時、ぼくは神戸にいて、流行に無関係な格好をしていたと思います。

 先ず、裕次郎は、兄、慎太郎の“慎太郎刈り”のヘアースタイルでスクリーンに登場しました。この頃の男性の若者は誰も彼も慎太郎刈りでボートネックのシャツとデッキシューズで肩で風を切って、用もないのに神戸でいうところのセンター街や元町を闊歩したものです。

 でも裕次郎の体型が少し崩れかけた頃から、流行のファッションはアイビーに代り、みゆき通りを溜り場にしたみゆき族が次に流行したかと思うと、スパイダースやタイガースの出現でGSファッション全盛になっていきます。

 そして1960年代後半、突然アングラ芸術が流行り始めました。と同時に僕は1967年に単身ニューヨークに渡り、約4ヶ月間、当地に滞在し、いやというほどヒッピームーブメント、サイケデリック・カルチャーに全身全霊どっぷりつかり、ニューヨーク滞在中はほぼ毎日グリニッチビレッジを夜遅くまで彷徨していました。

 東京ではアイビールックだった僕のファッションは、長髪とワークシャツとTシャツとジーンズとブーツに変ってしまいました。つまり頭のテッペンから足の先きまでヒッピーファッション一色でなければグリニッチビレッジのヒッピーと仲良くなれないのです。時間があると、ライブハウスでロック漬けです。

 この頃、イーストビレッジのクラブ、エレクトリックサーカスではアンディ・ウォーホルのベルベット・アンダーグラウンドに浸り、ロンドンから来た、ビートルズより凄いという「クリーム」の生演奏を小さいライブハウスで体験し、アイアン・バタフライ、マザーズ・オブ・インベンション、ジェスロ・タル、ジェファーソン・エアプレーン、カーネギーホールではラビ・シャンカール、毎日がサイケデリック・ライフスタイルです。ビレッジのエイトストリートではラダ・クリシュナ・テンプルのハレ・クリシュナ・マントラという曲のヒンズーファッションに憧れ、ヒッピーカルチャーのカオス。フラワーチルドレンの花柄のネクタイを大量に仕入れ、ジンジャケとアフガンコートの中古服、とにかく狂ったようなファッションライフに恍惚としていました。

 ファッションが思想化し、自己主張の時代でした。1967年のニューヨークは僕にとってはルネッサンス・レボルーションの時代でした。1967年以来、70年まで毎年ニューヨーク詣でが続きました。ニューヨークのあと、帰国して禅寺とインド詣でが毎年7年間も続き、僕の内面はインド哲学と神秘主義に洗脳され、そして1980年にニューヨーク近代美術館(MoMA)でのピカソ展の会場で、画家に転向せざるを得ない運命に導かれる結果になって、今日に至っています。

 そして、あっという間に先月(6月)、89歳になりました。といって老人ファッションとは無縁の格好をしています。日本の老人もここ二十数年の間に画期的に変貌しました。先ず、60年代のジーンズから始まって、Tシャツとスニーカーの氾濫、そして何よりもキャップとニット帽の普及、これは日本の老人のファッションに根底から革命をもたらしました。

 若者に負けず劣らずの派手なファッションの老人を街で見かけます。もう昔の農協風の老人などどこにも見かけません。

 老人のファッションが明きらかに寿命を延長させました。今や年相応という言葉は死語になっています。如何に年不相応な格好をするかが現代の老人のファッションになっています。

 老齢と共にどんどん若作りしていく老人が物凄く増えたことは確かです。アスレチックをしたり、ランニングしたり、サプリメントを飲む資金があるなら、ファッションにも金をかけるべきですという思想と哲学を僕は彼等から感じます。

 ところで最近の僕のファッションですが、これは三宅一生さんのパリコレのグラフィックやテキスタイルの仕事を長年してきたので、基本的にイッセイミヤケの衣服が中心です。一生さんの後の若いデザイナーとも絵画をテキスタイルにしたファッションで数多くコラボをしてきた関係で、自作を着ることがあります。また一方、ハリウッドのクロムハーツのポスターなどを制作しているので社長のリチャード・スタークからプレゼントされたファッションも着用します。かと思ったら時々、ジーンズメイトやユニクロのもの、そしてここ数年は多種多様なボーダーシャツをコレクションしました。これはピカソと、ベニスのゴンドラの船頭からの着想です。

 また、様々なスタイルの帽子をコレクションしています。他に海外のファッションメーカーとのコラボが近年うんと増えているのですが、どうも自作のファッションは恥ずかしくて、着るのに抵抗があります。

横尾忠則(よこお・ただのり)
1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。第27回高松宮殿下記念世界文化賞。東京都名誉都民顕彰。日本芸術院会員。文化功労者。

週刊新潮 2025年7月3日号掲載

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