「グループLINEはあるが、仕事以外の話はしない」 国分騒動でわかったTOKIOメンバーの“知られざる関係” 電撃解散は「松岡の怒りが凄まじかった」
躓きの石は…
TOKIOがデビューしたのは1994年のこと。3名に加え、長瀬智也、山口達也の5名がメンバーだった。
「『AMBITIOUS JAPAN!』や『宙船』など誰もが知るヒット曲も多い。SMAPとデビューが近いこともあり、ジャニーズの中では2番手扱いでしたが、紅白歌合戦に24年連続出場した高い音楽性に加え、『鉄腕DASH』が『親が子どもに見せたい番組』『青少年に見てもらいたい番組』に選ばれるなどバラエティ力も高く、また2011年の東日本大震災以降は福島の支援にも乗り出し、復興支援の芸能人としては代表的な存在になりました」(キー局関係者)
が、躓きの石となったのは、2018年の山口達也の脱退。酒に酔って女性とトラブルを起こし、強制わいせつ容疑で書類送検され、脱退を余儀なくされた。
「これで長瀬の立ち位置が微妙になりました。長瀬はもともと音楽一筋で、バラエティにはそれほど興味がなかった。特に『鉄腕DASH』のような、超ハードなものは尚更です。山口の脱退でベースがいなくなり、TOKIOの音楽活動は事実上、休止状態になった。芸能界にも飽きが来たのか、独自の活動を模索し、2021年に脱退したんです」(同)
そして3人に減ったTOKIOはその直後、ジャニーズ事務所から独立し、株式会社TOKIOを結成したのである。
松岡の存在感
もともとTOKIOはメンバー同士、取り立てて仲が良いというグループではなかったという。
「3人だけのLINEグループは存在するようですが、仕事以外の話は一切しないといいます。国分と山口はそれなりにプライベートでも親しかったと言われていますが、それ以外の関係は聞いたことがない。松岡も、メンバーよりむしろV6の井ノ原快彦と非常に仲が良いことで知られています」(同)
その中でも国分は“浮いた”存在であったという。
「上昇志向の強い国分は、他のメンバーからは“何なのアイツ”といった目でみられることも少なくなかったそうです。ライブ終わりの打ち上げなどでも、ツアースタッフなどをねぎらうというより、会場に来ているテレビ局や代理店のお偉いさんに率先してあいさつにいく。年齢を重ねればそういうことも大事な要素であることはわかるのですが、他のメンバーからはスタッフや仲間を差し置いて……と見られていたそうです。番組で国分と一緒になるお偉いさんなどは国分のことを気が利くいい子と評価するようですし、実際、共演していたビートたけしなどはだいぶ可愛がっていたようですが、下の者には厳しい一面もあると言われていた」(同)
最年長である城島はリーダーで社長も務めるが、率先してグループを引っ張るというよりも、人畜無害でドーンと構えるタイプの存在。それに代わって、
「実質的にグループを引っ張っていたのは松岡です。彼の性格を一言で言えば、“体育会系”。ヤンチャではありますが、ジャニーズ愛、グループ愛に熱く、曲がったことが大嫌いなタイプです。山口の不祥事の時も、涙目で“甘ったれている”“帰る場所がある、そんな考えが通るTOKIOなら一日も早くなくしたほうがいい”と言っていたほどです」(同)
今回も、解散を強く主張したのは松岡と見られている。
「国分の“行為”を知って、ブチ切れてしまった――というのが真相ではないでしょうか。城島との話し合いも、彼の21日、22日の石川県での主演舞台公演が終わるのを待ってのことでしたから」(同)
株が上がった
こうして長い歴史に幕を下ろしたTOKIO。ジャニーズのグループの中でも、活動年数の長さは少年隊の次に位置するという。そして皮肉にも、TOKIOの解散を経て、株がむしろ上がったと見られているのが、前述の松岡であるという。
「6月27日の会見では、質問が尽きるまで取材に応じますよ、と述べ、きちんと説明をした。終わった際には、報道陣や集まったやじ馬から拍手が沸き起こったほどです。『鉄腕DASH』だけではなく、福島での活動も継続が要望されています。もちろん本人の意図していないこととは言え、彼の存在の大きさがより際立つ結果となりました。グループがなくなっても、その地位は安泰と言えるのではないでしょうか」(同)
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