再婚相手は「私を上から目線のパリピ女だと思ってたみたい(笑)」…「梅宮アンナ」が打ち明けた“出会って10日婚”までの壮絶すぎる“がん闘病記”

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がん発覚から1年後の結婚

 2024年8月に乳がんの一種「浸潤性小葉がん」のステージ3であることを公表した、タレントの梅宮アンナ(52)。闘病生活を続ける彼女の“再婚”が大きな話題を呼んでいる。報道では、7歳年上のアートディレクター・世継恭規さんとのスピード婚という部分ばかりが強調されるが、“運命の出会い”に至るまでの日々は過酷そのものだったという。

(全2回の第1回)

「そうですね、乳がんが発覚してからは、治療とリハビリを繰り返す闘病生活を送っていたので、まさか1年後に“結婚”が待っているなんて思いもしなかったですよ(笑)」

 そう語るのは梅宮アンナ本人である。

「私の場合はまず抗がん剤から治療を始めて、その途中で肺炎にかかって緊急入院したんですね。その後、回復したので抗がん剤治療を再開するのかと思ったら、担当医から“いまの段階でがんがかなり小さく抑えられているので手術しましょう”と。そして、昨年11月に右胸の全摘手術を受け、再開させた抗がん剤治療が終わったのは今年3月。そこから今度は放射線治療が始まったわけです。抗がん剤の副作用に比べて放射線治療に関してはあまりネガティブな情報が出回っていない気がしていて。でも、実際に受けてみたら、まぁ、本当に大変でした」

 最初に困ったのは腕が満足に上がらなかったことだという。

「放射線を右胸の患部に照射するには、右手を上げてバンザイの格好をする必要がありますよね。でも、全摘手術で傷口を縫合したばかりなので皮膚が引きつって腕が上がらないの……。看護師さんから“腕が上がらないと放射線治療に移れないから頑張って!”と励まされながら、来る日も来る日も、涙を流しながら壁に沿って腕を上げる地獄のトレーニングを繰り返しました」

「このまま死んじゃうのかな」

 そして、ついに全16回の放射線治療が始まる。

「実際の治療は思いのほかあっさりしていて、合計4ヵ所に照射するものの、1ヵ所当たり20秒ほどなので10分程度で終わるんです。でも、4回目の治療を受けた頃から、明らかに体に異変が起きていることに気づきました。イメージとしては電子レンジで体をジリジリと焼かれているような感じで、何度もそれを浴び続けることで、肌というか、筋肉や皮膚の組織が縮み上がっていく。せっかく腕が上がるようトレーニングしたのに、筋肉が縮んでしまうからバンザイの姿勢が痛くて堪らなくなって。看護師さんによると、“全ての放射線治療が終わった日から2週間後が一番キツい”らしく、ビクビクしていたんですけど、うーん、本当にヤバかったです。自分の体がダメージを受けているのがよくわかって、これからどうなっちゃうのか不安で不安で……。肌の表面はつねにヒリヒリするし、筋肉の痛みも止まらないので、これはマズいかも、このまま死んじゃうのかな、と思い詰めたことも……。4月10日に放射線治療が終わったので、2週間後の4月下旬頃が肉体的にも精神的にも最悪に追い込まれていましたね」

 だが、過酷な治療に耐え抜いた梅宮は、そこから劇的な回復を見せる。

「本当に人間の体というのは不思議なもので、最悪の状態を過ぎたら少しずつ上向いて来るのが分かるのね。昨日より今日、今日より明日って。ようやく人に会って話ができるような状態まで回復したので、ゴールデンウィークに女友だちを家に招いたんです。その時の私は闘病生活の反動なのかテンションが異様に高くて、それこそ友だちに向かって“夏に向けて合コンでもやろうよ!”くらいの感じでした(笑)。で、以前に聞いた友だちの言葉を思い出して“そういえばアンコ(梅宮のあだ名)に合いそうな人がいるって話してたじゃない!”と。それが“よっちゃん”との出会いに繋がりました」

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