なぜ「長嶋茂雄さん」はあれほど愛されたのか? ただの人気選手から“みんなの長嶋”になった瞬間(小林信也)

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“みんなの長嶋”

 時計の針は夜9時を回っていた。天皇陛下が席を立たれ、皇居に戻られる予定時刻が近づいていた。

「9回裏、巨人の攻撃は4番長嶋から始まる。天皇陛下に長嶋の打席までは見てほしい!」全国の野球ファンがみな強く願った。この場面で打席が回ってくるのも長嶋の強運といえるだろう。

 マウンドには阪神の新人投手・村山実。2ボール2ストライクからの5球目、内角球に食い込んでくる村山の速球を長嶋は見事に打ち返した。美しいライナーが、満員のレフトスタンドに吸い込まれた。絵に描いたようなサヨナラホームラン。天覧試合がその瞬間に終わった。

(長嶋がやってくれた)

 通常の鐘や太鼓の応援はない、静かな感動。三塁を回り、ホームベースを踏んだところで長嶋はロイヤルボックスを見上げた。天皇陛下は帽子を取り、身を乗り出して長嶋をたたえた。その光景に日本中が感銘を受けた。

「長嶋、ありがとう!」

 理屈抜きの感謝が日本中に溢れた。それは、長嶋が単なる人気野球選手でなく、“みんなの長嶋”になった瞬間だった。

 いくら王がホームラン世界記録を達成しても、落合博満が長嶋のホームラン数を抜き、三冠王を3度取っても「長嶋さんを抜くことはできない」と嘆いた、その理由はここにある。

 天覧試合のサヨナラホームラン、それは日本社会の空気を変えた歴史的事件と言ってもいいだろう。その夜長嶋は天皇陛下から国民の心をつなぐ使命を託されたかのようにも感じる。

 そして長嶋は生涯「人を喜ばせる」役割を果たし続けた。

小林信也(こばやしのぶや)
スポーツライター。1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部などを経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』『武術に学ぶスポーツ進化論』など著書多数。

週刊新潮 2025年6月26日号掲載

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