【特別読物】「救うこと、救われること」(8) 倉田真由美さん

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 倉田真由美さんは『だめんず・うぉ~か~』で脚光を浴びたマンガ家。映画プロデューサーの叶井俊太郎さんとの結婚も話題になりました。しかし2022年、叶井さんは膵臓がんで余命半年と宣告。叶井さんは抗がん剤を使わず、余命を生き抜く決意をします。

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『だめんず・うぉ~か~』は、私自身が付き合った相手に苦労した経験があって、そのことを初めてマンガのネタにした作品です。金銭トラブルや女性問題など、自分の恥でもあるので描きづらかったのですが、そこを割り切ったら道が開けました。

最強のだめんずとの結婚

 叶井俊太郎と結婚した時は、「最強のだめんずと結婚した」とも、「すぐ離婚するだろう」とも言われましたが、夫との相性はとてもよくて、夫婦喧嘩をしたことがありません。癖の強いひとで、結婚は3回失敗し、私は4番目の妻です。誰とでも合う人ではないのですが、私とは映画やエンタメの趣味でも恐ろしいほどの合致をみまして、これほどの人と巡り合えた幸せを感じました。

 夫は着道楽なんです。財布に300円しかないのにブランドの服を着ているような人で、生活費も入院費も、全部使っちゃう。私がいなければ数万円のお金にも困る人でした。

 おかげで私の服は安価なチェーンストアのものばかりで、家族としては迷惑なのですが、私はあまり気にならなかった。本当に面白い夫だったんです。先のことを思い悩まない、過去を振り返らない、病気でも毎日楽しく生きられるんです。

 子供の世話や日々の家事を全く面倒がらないのです。学校のプリントを毎日確認し、楽しそうに保護者会に出席していました。マメというか、日常の楽しくないことを面白がる能力が高い。叶井家はママが二人いると言われていました。結婚指輪も、不意のプレゼントもありませんでしたが、得がたい人でした。

突然の黄疸、そしてがん宣告

 2022年5月、夫が真っ黄色になったんです。素人目にも異常とわかる黄色さで、皮膚のかゆみ、下痢もありました。なのに最初の病院の診断は胃炎。誤診でした。2つ目の病院では、黄疸と診断されたものの、それ以上はわからず、紹介された3つ目の国立病院で膵臓がんが見つかります。それもステージ2b。

 このままなら余命半年、「抗がん剤でがんを小さくしてからでないと手術できない」と宣告されます。私は涙が止まりませんでしたが、夫は「余命半年かあ」と言いながらいつもの飄々とした様子。帰り道で「ママ、さよならだね」と私をからかうのです。

 その後、がんの治療法や抗がん剤の是非について専門家に聞いて回りました。しかし、2軒、3軒と行くうちに夫の決心が固まります。「抗がん剤はやらないよ」、と。

 結局、月に一度の血液検査と、3ヶ月に一度の胆管のステント交換という対症療法だけになりました。夫の決意が変わることはなく、「痛いのは嫌だけど、この世に未練は無い」とさっぱりしたもの。中学生の娘にも伝えて「父ちゃんがいなくなっても、おまえは好きなように明るく生きろよ、以上」てな具合です。

自宅で送った最期の日々

 がん患者のくせに夫の食生活はめちゃくちゃで、医師の言うことは聞き流し、節制もせず、毎日好きなものを食べます。それも、うな丼、天ぷら、とんかつ、ラーメン、コンビニのからあげやファストフード。甘い物も大好きで、せがまれてホットケーキをよく焼きましたが、メープルシロップをこれでもかと掛け、バターも山盛りにします。度々腹痛を起こすのですが、不思議にも食欲自体は亡くなる前日までありました。

 夫が一番苦しんだのは、がんではなくステント交換手術の失敗です。がんが大きくなるのでだんだん難しくなるのですが、痛みの余り自殺を思い詰めたほど。この経験で「もう入院は嫌だ」と、緩和ケア病院も拒否し、「家で死んでもいいかな」と言いだしたのです。私も覚悟を決め、2024年のお正月は自宅で娘と一緒に迎えることが出来ました。
 
 2024年2月16日、自宅の介護ベッドで夫は息を引き取りました。56歳でした。前日までシャワーを浴び、少しですが散歩も出来ました。寝たきりにならなかったのは夫にとっては救いだったかもしれません。私はたとえ寝たきりでももっと生きる努力をして欲しかったのですが、そういう人ではありませんでした。

 いま私が救われているのは、思春期の娘がめそめそすることもなく明るく過ごしていること。さっぱりしていて、夫に似ているんです。喪失感に打ちのめされ、今でも夫の動画や写真を見ては泣いている私とは大違いです。

 抗がん剤を使わなかったこと、夫を自宅で看取れたことは、よかったと思っています。ギリギリまで普通の暮らしや仕事が出来ましたから。また、夫の最期の時に私がいてよかったなとも思っています。夫を一人にしてしまうことがなくて済みました。病院ではこうはいかなかったと思います。

 自宅での看取りは万人にお勧めできることではありませんが、訪問医療や緩和ケアの対応もあって、日本でも出来ます。私は夫の最初の誤診を忘れませんし、日本の医療の問題点や、がんの標準治療以外の選択肢や案内が少なく分かりにくいことも問題だと思っています。夫との最期の日々は、『抗がん剤を使わなかった夫』(古書みつけ)に書きましたが、これからも書き続け語り続けていくのが、私の使命だと思っています。

■提供:真如苑

倉田真由美
1971年、福岡市生まれ。一橋大学商学部卒。卒業後、「ヤングマガジン」ギャグ大賞を受賞してマンガ家デビュー。2000年、「週刊SPA!」連載の『だめんず・うお~か~』でブレイクする。マンガ、エッセイなどの執筆活動の他、コメンテーターとしても活躍。近著に『凶母(まがはは)』、『生きる』(森永卓郎、深田萌絵との共著)など。

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