哀れなヒロイン…のぶは完全に“洗脳”されていた 「あんぱん」戦後に待ち受ける“絶望”
ヤムさんは井伏?
ヤムさんと八木には共通点がある。2人とも井伏鱒二が1937(昭12)年5月に野田書房から出した『厄除け詩集』を愛読している。嵩も東京高等芸術学校1年だった同年7月に買った。
嵩はこの詩集を1942(昭17)年だった第50回の入隊時に携行した。それが縁で八木に目を掛けられるようになった。1944(昭19)年だった第55回、八木は嵩に対し「おまえにオレと同じ臭いを感じた」と明かした。
一方、ヤムさんはのぶが全寮制の女子師範学校に入学する際、『厄除け詩集』に収められた井伏による訳詞を口にした。于武陵による「勧酒」の一部である。浪人生だった嵩がのぶの姿を陰からまぶしそうに眺めていたからだ。
「花に嵐のたとえもあるぞ。『サヨナラ』だけが人生だ」(ヤムさん、原文はカタカナ)
だが、ここで分からなくなった。ヤムさんの口から、この言葉が出たのは1936(昭11)年4月の第21回である。
一方、この詩集の発行は約1年後の1937(昭12)年5月。井伏本人による序文にも「昭和12年春」とある。矛盾する。
最初は単純な考証ミスと思った。だが、「あんぱん」には考証スタッフが6人もいる。しかも井伏は物語のカギを握る重要人物。考証ミスを犯すとは考えにくい。
考えた末の結論は、ヤムさんは井伏の分身のような人物なのだ。ヤムさんのモデルはアンパンマンのジャムおじさんとされているが、ほかにもいたわけである。ヤムさんと井伏は非戦主義者という大きな共通点がある。
それだけではない。ヤムさんは暇さえあれば川に釣りに行く。井伏も川釣りに目がなかった。開高健が釣り仲間だった。著書にも『川釣り』(岩波文庫)や『鯉』(田畑書店)など川釣りに関するものが複数ある。
井伏は広島への原爆投下の残虐性をつづった『黒い雨』(新潮文庫)にこう書いた。
「戦争はいやだ。勝敗はどちらでもいい。早く済みさえすればいい。いわゆる正義の戦争よりも不正義の平和の方がいい」
1940(昭15)年だった第46回に明かされたヤムさんの従軍体験とイメージが重なる。ヤムさんも同じ思いだったのではないか。ヤムさんの周囲で兵士が次々と死んだ。
そのうえ、戦場でのヤムさんは酷く飢えていたため、死んだ兵士のポケットからビスケットを取ってしまった。思い出したくもない痛恨の過去だろう。
蘭子もこう思っていたはずだ。「勝敗はどちらでもいい。早く済みさえすればいい」。豪が生きて帰ってくれたら、それだけでよかったのだから。
嵩の幼なじみで軍隊仲間の田川岩男(濱尾ノリタカ)は、親しくしていた地元の少年リン・シュエリャン(渋谷そらじ)に射殺された。リンにとって岩男は親の仇だった。争い事はどちらが勝っても恨みが残る。
「あんぱん」が描いた戦争を振り返ると、虚しさしかなく、非戦というメッセージが浮かび上がる。戦わないことが最善である、と静かに訴えていた。
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