30余人が死傷した昭和の「電車爆破事件」…25歳の犯人が「横須賀線」に時限爆弾を置いたあまりにも身勝手な動機

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 爆弾を使った無差別殺人事件――昭和40年代、全国で相次いだ悪質な事件に対し、警察は「捜査の王道」ともいえる「聞き込み=情報」と「鑑識=ブツの捜査」で犯人にたどり着いた。防犯カメラや電波による位置情報など、人物を特定・追跡するアイテムは飛躍的に進化した令和の時代だが、「捜査の基本は変わらない」と多くの現役捜査員は言う。昭和43年6月、神奈川県で起きた「横須賀線爆破事件」は、捜査員の地を這う努力の結果、犯人にたどり着いた事件だった。

(全2回の第2回)

犯人逮捕

 昭和43年11月9日午前7時――。

 3人の捜査員が東京都千代田区九段北にある建設会社の宿舎に足を踏み入れた。朝食を済ませ、建設現場へ出る直前の若者に、「神奈川県警察」と書かれた警察手帳の表紙を見せ、続けて恒久用紙第一葉を提示した。

「神奈川県警察の者だが。W君だね?」

 男の顔は一瞬、強張ったというが、素直に任意同行に応じた。午前9時過ぎ、横浜市内の神奈川県警庁舎に連行され、取り調べが始まった。ポリグラフ検査では主質問で陽性反応が認められたが、取り調べでの問いには一切答えず、うつむいているだけ。

〈正午近く「何か食いたいものがあるか?」と聞かれると、(Wは)即座に「かつどんを食べたい」と答え、出されたどんぶりをかかえ込み、またたく間にペロリとうまそうにたいらげた〉(朝日新聞 昭和43年11月10日付朝刊)

そして午後1時過ぎ――。

「爆破装置は、私が作りました」

 大工のW(25=死刑)の自供が始まった。同日の夕方には爆発物取締罰則違反、殺人、殺人未遂、電車転覆などの容疑で逮捕された。

 連載第1回で書いた通り、この約1カ月前の10月1日、捜査員が聞き込みで浮上させたWに対し、水面下で身辺捜査が展開されていた。その結果、

(1) 昭和43年3月から6月末まで毎日新聞をとっていた。
(2) 東京都公安委員会の猟銃所持許可を持っており、事件で使用された無煙火薬を3月に立川市内の猟銃店で購入している。
(3) 事件前年の9月まで、新宿区内のアパートに住んでいたが、この時に爆薬に使用されたのと同じタイムスイッチを持っていた。また、マンションなどの工事現場では犯行に使われた三方継ぎ手が容易に入手できる。
(4) 事件の2か月前、神奈川県藤沢市内のマンション工事現場で働いていた際、工事中のマンション3階で爆発音があり、「Wがやったのでは」と噂になっていた。
(5) 電気関係の通信教育を受けており、電気の知識もある。
(6) 事件当日、仕事を休んでいた。

 などが判明した。さらに、特捜本部の捜査員が注目した「被疑者に関する情報」がもう一つあった。

〈被疑者は山形県の貧しい農家に生まれ、父親がレイテ島で戦死したため母の手一つで育てられ、幼い頃からおとなしい性格で機械いじりが好きで、中学卒業後は大工として働いていた〉(警察庁の資料より)

 Wの父親は彼が生まれて9ヶ月後の昭和19年5月に応召し、翌年3月に戦死している。横須賀線で事件が起きた日は「父の日」だった。事件で命を落とした被害者は、入院中の娘を見舞い、その帰宅途中だった。また、前年6月18日に起きている山陽電鉄爆破事件も「父の日」だ。幼少期から父親のいない生活で育ったWが、「父の日」に何らかのこだわりを持って犯行に至ったのか――。

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