「監督・長嶋茂雄」が見せた誰にもマネできない神采配 “勘ピューター”的中で「連続代打ホームラン」や「代打ピッチャー」に観客は大喝采
巨人で通算15年間監督を務め、リーグ優勝5度、日本一2度を達成した長嶋茂雄氏は、指揮官時代にもさまざまなエピソードを残している。あっと驚く閃き采配を何度も披露し、“勘ピューター”と呼ばれた長嶋監督だが、実際はスコアラーから提供されたデータを細部にわたって分析し、打球方向もすべて頭に入っているという緻密な野球だったと伝わる。【久保田龍雄/ライター】
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勘ピューター炸裂で「代打連続ホームラン」のミラクルを起こす
そんな数々のエピソードの中でも、持ち前の閃きが功を奏し、NPB史上初の代打連続本塁打の快挙が達成されたのが、1977年6月14日の広島戦である。
1対5の7回2死無走者、長嶋監督は8番・吉田孝司に代えて、山本功児を代打に送った。山本は広島・高橋里志の初球、内角球を右中間席中段に運び、反撃の狼煙を上げる。
ここまでならよくある“代打的中”で話が終わるところなのだが、なんと、次の西本聖の代打・淡口憲治も、カウント1-1から高橋の低めカーブを右翼席最前列に運び、代打2人の連続弾で2点差に追い上げた。
NPBでは、1975年に南海・佐野嘉幸と柏原純一が1イニング2本の代打本塁打を記録しているが、代打の連続本塁打は史上初の珍事だった。常人では考えられない“究極の閃き”としか言いようがない。
だが、“勘ピューターダブル的中”の甲斐なく、試合はそのまま3対5で敗れ、長嶋監督も「高橋にやられた……」と天を仰ぐ結果となった。
さらに1979年7月31日の広島戦でも、4対6の9回に吉田孝司、平田薫の代打2人が江夏豊から続けざまにアーチをかけ、NPB史上2例目の代打連続弾で一気に同点。
この奇跡的な2発をきっかけに、巨人は連続四球と高田繁、柴田勲の連続タイムリーで鮮やかな逆転勝ちを飾り、「野手全員が監督賞」と長嶋監督を喜ばせた。
サヨナラ走者に驚きのピッチャーを起用で次打者が奮起
延長12回、一打サヨナラのチャンスに投手を三塁走者の代走に送るという仰天采配が見られたのが、1996年8月7日の阪神戦である。
1対1で迎えた延長12回、巨人は杉山直輝、仁志敏久の安打などで1死一、三塁とサヨナラ劇のお膳立てをする。
この場面で長嶋監督は、三塁走者の杉山に代えて、なんと、投手の岡田展和を代走に送り出した。
実はこの時点でベンチに残っていた野手は、岸川勝也と右足を痛めてスタメン落ちした落合博満の2人だけ。いずれも代打ならともかく、走力は期待できないとあって、投手の中で一番足の速い岡田に白羽の矢が立ったという次第「(犠飛で)タッチアップの場面を考えると、杉山より岡田のほうが(足が)いいからね」(長嶋監督)。
そして、この“珍代走”起用が次打者・川相昌弘の心理面にも大きな影響を及ぼす。
「三塁走者が投手だからスクイズはない。打つしかない」とヒッティング一本に気持ちを集中させた川相は、見事中前にサヨナラ安打を放ち、2対1で勝利した。
この時期の巨人は、最大11.5ゲーム差あった首位・広島との差をわずか1ヵ月で5ゲーム差の3位まで縮め、この日の勝利で、貯金もシーズン最多の「6」になった。
「結果的にヒットで(代走は)必要なかったけど。エッヘッヘ」と会心の笑みを見せた長嶋監督は「今日の勝ちは大きい。次の中日戦にもつながる」と“メーク・ミラクルV”実現(同年は中日、広島との三つ巴の争いを制し、2年ぶりV)に向けて、意欲を新たにした。
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