海外大物アーティストから絶大な信頼…「来日公演」にこの人ありの“伝説の呼び屋”、死去の1か月前も口にしていた“仕事の真髄”

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阿久悠「間接的には私にとっても恩人」

 最後の仕事になったのは、新旧を問わず、日本人の心に残る歌を、様々な歌手が歌う「翔歌」というイベントだった。共同プロデューサーの作詞家・阿久悠氏が語る。

「内野さんから人を介して連絡があり、初めてお目にかかったのは昨年6月のこと。日本の歌で何かやりたいということでした。我々の世代にとってビートルズの来日というのは音楽のビッグバンのようなもので、私だってあのブームがなければ作詞家にならなかったかもしれない。内野さんは、そのビートルズ公演に携わった伝説的な人で、間接的には私にとっても恩人です。もちろん喜んでお会いしました」

 洋楽イベントのパイオニアは、最後は日本の歌に行き着いていた。

「内野さんはその時に、私が作詞した『あれから』という歌が大好きだと言うのです。『心が純で真直ぐでキラキラ光る瞳(め)をしてた』という詞なのですが、“最初に聞いた時から俺のことかと思った”と言っていました。とにかく無邪気な感じで日本の歌がやりたいとおっしゃっていて、それが『翔歌』になったのです。口では“これが最後の仕事になる”とおっしゃってましたが、まさか本当にそうなってしまったとは……」

 内野氏はこの『翔歌』について、

「仕事としては最後のつもりだったんだけど、皆さんがこれはすごいから来年も再来年もということになりましてね。結局、継続することになっちゃったんだけど。やっぱり、休ませていただけないというか、自分からスーッと行っちゃうんですね」

 と笑っていた。

人のやっていることを真似しちゃダメ

 アルバイトとしてニッポン放送に入った時から内野氏の仕事を見続けてきた亀渕昭信社長の話。

「いつも先のことを見ている人でした。ビートルズ、レッド・ツェッペリンもそうですが、24時間チャリティ番組の原型である『ラジオ・チャリティー・ミュージックソン』も内野さんの仕事。洋楽だけではなくアジアのアーティストとの交流も図り、最後に懐かしい日本の音楽も紹介した。僕にとっては本当にかけがえのない人で、先生、ありがとう、という気持ちです」

 ご本人は印象に残るコンサートとして、暴動寸前まで観客がエキサイトしたグランド・ファンク・レイルロードの後楽園公演とアリスの武道館公演を挙げていた。

「あの、何ていうか、自分が作り上げたものが受けた時はやっぱり嬉しいですよ。要するに新しいシチュエーションを設定するわけですよ。人のやっていることを真似しちゃダメです。アインシュタインは『Imagination is more important than knowledge』と言っています。知識より想像力のほうがずっと大切だということ。とにかく人のやらないことを、ね」

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 先読みの力と行動力、そしてたっぷりの好奇心――。第1回【「66年ビートルズ来日」を仕掛けた“伝説の呼び屋” 「警察官8000人が動員された」武道館公演の舞台裏】では「若かったからできた」というビートルズ来日公演の裏話を明かしている。

デイリー新潮編集部

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