「長嶋さんには“二つの夢”がありました」 大谷翔平との対面は実現、もう一つの夢とは

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「回復して走れるようになるのでは、と思わされたのですが……」

 04年にミスターが患ったのは脳梗塞の中でも比較的後遺症が重くなりやすいとされる心原性脳塞栓症で、右半身のまひと言語障害が残った。以降、ミスターが懸命に取り組んできたのがリハビリだ。火曜日から金曜日は都内の国営公園に朝7時45分に到着し、運転手と介護士に伴われて園内を1周する。土曜日はよりハードなトレーニングを行い、日曜日は休み。月曜日はその国営公園が定休日のため、田園調布の自宅からほど近い多摩川沿いの公園に場所を変えて体を動かした。

 その姿を毎朝、そばで見続けた先の吉見氏によると、

「リハビリは順調で、このまま回復して走れるようになるのではないか、と思わせられるくらいでした。ところが18年の6月ごろから、リハビリのスタート地点でうずくまったり、途中で立ち止まったりすることが多くなりました」

胆石の治療で「かなり体力を削られた」

 ミスターが胆石の治療のために入院した、と報じられたのはそれからほどなくした頃だった。

「この時は結果的に数カ月で退院することができたのですが、ここでかなり体力を削られ、腰も悪くしたのではないでしょうか。それ以降、長嶋さんが公園などでリハビリや散歩をすることはなくなりました」(同)

 後編【「病院に通っていたのは三奈さんだけ」 長嶋茂雄さんの晩年とは 「大谷翔平と撮った写真を非常に気に入っていた」】では、知られざる長嶋さんの晩年と、大谷翔平との心温まる交流について詳報する。

週刊新潮 2025年6月12日号掲載

特集「長嶋茂雄死す 大谷翔平に託した野球界の未来」より

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