児童と教諭23人を殺傷した附属池田小事件「宅間守」 捜査員が逮捕後3日間の“姑息な演技”を見破った“一瞬の反応”【供述調書を読む】

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 午前10時過ぎ、大阪府池田市の小学校に男が侵入した。その手には出刃包丁が入った袋。男は誰にも咎められることなく2年生の教室に向かうと、教員が不在だったそこで5人の児童に出刃包丁を突き立てた。そして次には、隣の教室、その隣の教室でも……。

 児童8人が命を奪われ、児童13人と教諭2人が負傷した「附属池田小事件」が発生したのは、2001年6月8日のことだった。

 駆け付けた警察に現行犯逮捕された男は宅間守(37=当時)。子供を狙った卑劣極まりない犯行はもちろん、要領を得ない発言と不遜な態度で世間の激しい怒りを買ったことはまだ記憶に新しいだろう。

 宅間は第一審の死刑判決に対する控訴を自ら取り下げ、死刑を確定させた。だが、供述調書を入手したジャーナリストの今西憲之氏によれば、宅間は逮捕後の3日間、精神障害を装う演技を続けていたという。捜査官が演技を見破るきっかけを作ったのは、宅間に向けられた世間の怒りだった――。

(全2回の第1回:「週刊新潮」2005年6月16日号「1200枚の『供述調書』が語る池田小『宅間守』自白までの3日間」を再編集しました)

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ベテラン捜査員ですら「あれは怪物やったわ」

 ここにずっしりと重い1箱の段ボール箱がある。中にはA4サイズに統一された書類の束が詰め込まれている。

「実況見分調書」、「捜査関係事項照会書」、「再現見分見取り図」。一見して、もっとも量が多いのは、50綴り以上の「供述調書」で、全て末尾に「宅間守」という手書きの署名があり、捺印されている。

 箱に仕舞われているのは、2001年6月8月に起きた「池田小学校事件」に関する膨大な刑事記録などのコピーである。

 突然、小学校に包丁を持った男が現れ、次々と子供を刺殺するという白昼の惨劇からちょうど4年の月日が経過したことになる。昨年の9月、宅間には死刑が執行され、事件の犯人はすでに世を去った。

 が、あの事件の記憶は未だ消えたわけではない。公判のたびにふてぶてしい態度を見せた宅間の姿は、今も関係者の心に暗い影を落としているのである。

 たしかに大阪府警のベテラン捜査員ですら、「あれは怪物やったわ」と嘆息する、稀に見る凶悪犯だった。

事件後の3日間に亘る姑息な演技

 自分の判決前には、「死刑宣告されるところ、遺族に見せてやらんのや」と予告し、実際に判決時の法廷で、「こら、(殺された子供と)血がつながっとらんのやろ」と、被害児童の遺族に「暴言」を吐き、死刑宣告を聞かずに退廷させられた男――。

 反省も謝罪もなく、自ら控訴も取り下げ、死刑を望んだかのような宅間が、実は、逮捕されて3日間、罪を免れようと姑息な演技を続けていたことはあまり知られていない。

 警察がいかにその嘘を見破ったのか、供述調書にはその模様までがありありと書かれているのである。

「実は逮捕した時は、こらアカン、という空気でしたわ。宅間は精神的なところでひっかかるので、有罪にはならんということで……」

 ある捜査員によれば、逮捕の時点では、警察署の中には半ば諦めのムードが漂っていたという。

 それは宅間が、池田小学校すら覚えていないような振りや、「薬を飲んだ」と意味不明な言葉を連発したためだ。しかも性犯罪を含めて多数の前科があり、中には、精神的疾患があるとして措置入院となったものもあった。

 この宅間の最初の「供述調書」が作成されたのは、事件後3日を経た6月11日のことだった。

「この空白の3日間が勝負やったんや」と捜査員はいう。

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