「別の人と結婚していたら、何もかもが違った人生に」「どこからともなく魂が飛んできた」 横尾忠則の“家族”の捉え方
もし僕が現在の妻と結婚していなかったら今の家族はなかったわけです。別の人と結婚していたら今とは別の家族になって、何もかもが違った生活というか、人生になっていたはずです。
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とこんな風に考えると家族というのは実に不思議なものです。ここには「もしも」という想像は全く介在しないというか、通じないというか、あり得ないことなんです。
こうなるべくしてなったのが家族です。妻と僕とは他人です。その他人同士の間に他人ではない人間が出現したのです。わが夫婦の間には長男と長女の二人の子供がいますが、なぜこの二人なのかを考えても、この謎は解けません。
ただわかっていることはわれわれ夫婦の二人の遺伝子によって、生まれた子供は外形のみならず、性格をも形成していることです。いったい遺伝子とは何んなのか。親の形質が子孫に一定の様相をとって伝わる現象ということらしいですが、ここに偶然と必然がどう関与しているのか、ということになるとさっぱりわかりません。というか、これ以上深く考えないことです。
親である僕は二人の子供の形質の雛形かも知れませんが、その外形、性格はともかく、本質というか魂レベルでは親の形質などと全く無関係に存在していると思います。
夫婦も他人ですが、子供も魂においては全く他人だと思うのです。形の上では夫婦の精子と卵子の結合によって、ひとりの人間が形成されたのですが、魂に関しては親の影響は全く無関係であると思います。
精子と卵子が結合する瞬間にどこからか、まあ宇宙ということにしておきましょう、その宇宙からヒューッと魂が飛んできて、母親の中の胎児に入り込んだのです。それは胎児の形になる以前か、なってからかは知りません。科学者もここまでのことは知らないはずです。
だから生まれてきた子供は親に似ているところがあるとすれば、その外形と性格ぐらいで、それ以外というか魂は全く別物というか、別人です。
ここからは、信じる人と信じない人に別れます。というのは魂の年齢のことを語ろうとしているからです。
魂の年齢を数えることのできる人はひとりもいません。なぜなら魂は気が遠くなるほどの遥か彼方の太古の時代から延々と度重なる旅を続けてきているからです。このことは生まれてくる子供だけではなく、親も同様の旅を続けてきて、今ここに、たまたま偶然というか奇跡的に親子として遭遇したのです。
勿論、魂にも年齢があります。親だからといって子供より年齢が高いとは限りません。子供よりも親の方が魂年齢がずっと若いという場合もあります。その年齢は魂の経験のカルマによって決まります。でもこの現世では、親の方が子供より色んな体験をしているので、子供よりエライということになっています。それは肉体年齢ではなく魂年齢によって計られなければなりませんが、そんな計器だけはいくらAI時代になっても無理です。
このことは夫婦の間でもいえます。夫がいくら年長者で社会的地位があって、収入もあるといっても、魂レベルでは妻の方がうんと霊的レベルが高いということがあります。
このような魂の差別があるにもかかわらず、われわれが住むこの現世が現実の全てであるという考えから、現世の人は絶対そのことを認めません。
ですから、この世界は矛盾だらけの差別化された世界です。その差別化された現世の中で、さらにこの世界は差別されていると怒っている人も沢山います。
現在の家族構成が形作られたその背景はわれわれ人間には見えません。その見えない部分に小さい光を当てて、なんとかその謎を解明しようとしているのが仏教ですが、仏教そのものがすでに現世利益を目的にしていますので、そこまで手をつけようとはしていません。もし、この神秘的な原理が解明されればノーベル賞ものでしょうが、その選考委員はそんな見えない世界のことに興味はなく、むしろ見える世界を解明する方が先決問題なので、まあ無理でしょうね。
最後に言っときますが、いくつかの魂がどこからともなく永遠の彼方から飛んできて、ここに現実的な家族を形成したとします。しかしこの家族は永遠ではありません。死んだらまた、もう一度夫婦になりましょう、とか、お母さんともう一度、同じ生涯を送りたいと考える人もいると思いますが、今生の家族が偶然遭遇したように、再び離反していくのです。寂しいですが、宇宙の原理原則自体が宇宙の法則でそうなっているのです。だから一回性の人生をできるだけ楽しく遊ぶように生きればいいのです。また、そのようにこの世界は作られていると僕は思うのです。