ノムさん「600号本塁打」もスポーツ紙1面は「長嶋巨人の2ケタ借金」…「長嶋茂雄さん」をヒマワリに喩えた野村克也さん「月見草」発言の真相

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長嶋の顔を見ないと気合が入らない

〈(略)とはいえ、挑発の対象は、主に1人だった。そう、1993年より2度めの巨人監督を務めた“ミスター”だ。

 私がヤクルト監督8年目の1997年は、まさにその人物ゆかりの女性がインタビューに来たよ。長嶋監督の娘、三奈さんだ。(略)この年の4月から、「ニュースステーション」(テレビ朝日)が、毎週金曜日のみ、女性スポーツキャスターを置くことになったらしい。私が取材を受けたのは、まさにその4月(17日)。ほぼ一発目で、私のところに話を聞きに来るとは、周りも当然、「長嶋の娘」ということを意識していたんだろう。だから、いきなり、言ってやったわい。

「お父さんに言われて来たのか? どうや、オヤジさんの機嫌は。余裕あるやろ」

 この年の巨人は、西武から清原和博、近鉄から石井浩郎、ロッテからは前年14勝のエリック・ヒルマン投手を補強していたからね。大型どころじゃない。超ド級補強やで。先方は私への配慮もあったかもしれないが、おどけるように明るく答えた。

「(ヤクルトが開幕ダッシュしているので)監督の背中が見えませんよ」

 いずれにせよ、ここは巨人VSアンチ巨人の図式。私は最後にこう言ってやった。

「オヤジさんの顔を見ないと、こっちも気合が入らんわ」

 それは私にとって、気遣いでも冗談でもなんでもなかった〉

晩年の二人

〈(略)長嶋監督との戦いは、ヤクルト監督退任後も続いた。1999年から阪神の監督としてね。そしてお互い、2001年のシーズンを最後に、セ・リーグの監督は退いた。実は長嶋監督のラストゲームは私が率いた阪神戦なんだよ(10月1日)。甲子園で、5-0で勝利した。最後こそ勝ったけど、監督としての通算成績は109勝131敗だった。悔しくないと言えば嘘になる。学年で言えば同い年だしね。

(略)その長嶋と、再びグラウンドであいまみえる日が来た。2018年2月10日、場所はサンマリンスタジアム宮崎。カードは巨人VS南海。付言するまでもなくOB戦だった。宮崎キャンプ60年と銘打った巨人の主催だったんだが、試合前、控室のドアをノックする音がする。

「ノムさん、元気?」

 巨人側の総監督の長嶋、そして王、張本勲だったよ。

「激励に行きました。奥さんを亡くしたこともあったし、元気がないかもしれないからね」

 と、長嶋は新聞で語っていたな。いちいち言わんでもいいのに。変わっていなかったね〉

 長くライバル関係にありながらも、共に認め合っていた二人。今ごろは天国で、野球談議に花を咲かせているだろう――。

デイリー新潮編集部

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